□◆□…優嵐歳時記(2314)…□◆□
花筒を洗い清めて秋彼岸 優嵐
20日は彼岸の入りでした。季語では春の彼岸を「彼岸」といい、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」といいます。近所の墓地にも人影がありました。彼岸は雑節のひとつで、春分・秋分を中日とした前後七日間をさします。この期間におこなわれる仏事を彼岸会といいます。
彼岸とは煩悩を脱した悟りの境地を意味し、煩悩や迷いに満ちたこの世を此岸(しがん)というのに対し、それを乗り越えた向こう岸という意味があります。ということは、やはり真ん中を川が流れているのでしょうか?
彼岸の中日には先祖に感謝し、残りの六日間は彼岸に達するために必要な徳目である六波羅蜜を一日にひとつずつ修めることとされています。六波羅蜜を要約すると、利他:布施・持戒、自利:忍辱・精進、解脱:禅定・智慧です。せめて一日なりとこれらに思いをはせることが大事なのでしょうね。
<ゆらぎ>
お彼岸になったのに
彼岸花が全く咲いていない
今年の残暑の激しさをあらためて知る
梨は六割しか収穫がなかったという
毎年同じようでありながら
そこに微妙なゆらぎがあることが
自然というものなのだろう
花筒を洗い清めて秋彼岸 優嵐
20日は彼岸の入りでした。季語では春の彼岸を「彼岸」といい、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」といいます。近所の墓地にも人影がありました。彼岸は雑節のひとつで、春分・秋分を中日とした前後七日間をさします。この期間におこなわれる仏事を彼岸会といいます。
彼岸とは煩悩を脱した悟りの境地を意味し、煩悩や迷いに満ちたこの世を此岸(しがん)というのに対し、それを乗り越えた向こう岸という意味があります。ということは、やはり真ん中を川が流れているのでしょうか?
彼岸の中日には先祖に感謝し、残りの六日間は彼岸に達するために必要な徳目である六波羅蜜を一日にひとつずつ修めることとされています。六波羅蜜を要約すると、利他:布施・持戒、自利:忍辱・精進、解脱:禅定・智慧です。せめて一日なりとこれらに思いをはせることが大事なのでしょうね。
<ゆらぎ>
お彼岸になったのに
彼岸花が全く咲いていない
今年の残暑の激しさをあらためて知る
梨は六割しか収穫がなかったという
毎年同じようでありながら
そこに微妙なゆらぎがあることが
自然というものなのだろう
コメント
コメント一覧 (4)
燃え立つような緋色に人の魂を感じる花ですね^^
今年は少し寂しい風景です。
>マンジュシャゲの里も今年は花がない
そうなんですか!? 遅れてそのうち咲くんでしょうか。彼岸のころには絶対にあの緋色が畦を彩っていたもので、なんか足らんな、と思いつつ風景を見ていて気がつきました。十月の彼岸花なんてことになるかもしれませんね。
煩悩と悟りの狭間には、なにがあるのでしょう。
この世に未練を残して、あちらへいけない魂がさまよっているのかしら。そんなことを考えていると、悔いのない人生を送りたいなと思いました。
彼岸と此岸という言葉から連想するのはやはり三途の川でしょうか。さまよっている魂を救うために活躍するのが地蔵菩薩ですね。六道を輪廻する衆生を救うのが地蔵菩薩なんだそうです。
悔いなく生きるということが、どういうことなのか、それを常に考えながら生きたいと思いますね。状況は刻々と変わりますから、そのとき自分が何をすべきなのか、も変わり続けていく…。日々考えすべてが修行だと思って生きる、それが大事かなと思います。