□◆□…優嵐歳時記(2318)…□◆□ 

  稲妻を連れおり貨物列車過ぐ   優嵐

秋分の日の朝は雷雨になりました。雷や雷雨、雷鳴といったものは夏の季語ですが、稲妻はなぜか秋の季語です。稲穂の稔りを連想するからでしょうか。この辺の感覚は面白いと思います。アートセラピーに参加するため大阪へ行ってきました。線路沿いの田は八割がた稲刈りが終わっています。すでにひつじが伸びている田もあります。

七月から「観る」というテーマでやってきた三ヶ月シリーズの最終回です。いつも、ワークが終わった後の振り返りのレポートを書いてきました。これまでは自由に書きたいように書くというパターンでしたが、これからはこの「観る」のワークを通して、学んだ次の四つのパターンでレポートを書いていきます。

1)現象:そこでおこなわれていた事実
2)印象:そこの雰囲気
3)対象:感想、〜をやってどう思ったか
4)具象:気づき

今日は前回描いた花の絵を思い出して描くことから始まりました。観察して描いたはずですが、忘れてしまうものです。思い出そうとする努力さえ諦めておぼろげな印象をもとに描きました。私はだいたいなんでも速く、絵を描くのもあっという間です。思い出すのに時間をかけてじっくりゆっくり描いている参加者の方もあります。

かなり克明に覚えていて丁寧に描いておられる方、全く違う花を描いた方など、思い出して描くといっても人それぞれです。自分自身のそのときの感想はといえば、ワークとしてはあんまり面白くないなと思っていました。

なぜか。私は振り返るということが苦手なのだと思います。「前回に描いた花? なんやつまらんな」というのが正直なところ。次々新しいことをやって先に進みたいというのが自分の性格なのです。素早く突っ走るように先へ進んでいく。反省が無いんですね。

良いか悪いかはコインの裏表だと思います。根本から矯正することは難しいと思いますし、その必要もないでしょう。そういう自分の型を知って、それを生かしていくことが大事かと思います。

次に、この花をシンボルマークのようなものに変換して描き、言葉でも一言でそれを表すというワークをやりました。やっているときはあまりぴんとこなかったのですが、終わって全員のものを見ながら振り返りをやっていると、これは複雑なものを含む事象からポイントとなる要素をひとつ抽出してくることなんだな、とわかりました。

俳句との類似点に気がつきました。俳句は十七音でこれをやっているのです。季節という大きな事象の中で起こる出来事を、季語というシンボルを使って取り出し、十七音に凝縮させて詩にしています。季節の中にある要素は数限りないほど膨大ですが、どこに切り口をもってきて的確に切り取るかによって、俳句が生きるかどうかが決まります。

あれもこれもと盛り込んだら俳句の焦点がぶれてしまいます。十七音で何が言えるのか、と思いますが、詩というのは、その切り口によって長い説明文では言い切れないような、独特の何かを表現して、忘れ難い印象を与えます。名句として長く残っていくような句は、実に深く的確に「観て」いるのです。


<夜長>
ふくらはぎに冷え始めた空気を感じる
秋分の扉を開けて
ほんとうの秋が入ってくる
夜が長くなる


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