□◆□…優嵐歳時記(2320)…□◆□
蝶軽やか秋の光を滑空す 優嵐
森の散歩にはいい季節になりました。少し開けたところでは、蝶、バッタ、トンボなどに会います。猪が木の実を探しているのにも出会いました。もう猪にはすっかり慣れて、まるで近所の犬を見るような感覚です。
今日の坂井泉水さんの月命日には、『リセット』を取り上げます。ZARDの37番目のシングル『もっと近くで君の横顔見ていたい』(03.11.12)のカップリング曲です。この曲を今日取り上げたのは、先日友人から「リセット」したとの言葉を聞いたからです。
細かい事情を聞いていたわけではありません。しかし、その方がかなりの時間苦しみ悩み考えた末の決断だったことは、よくわかりました。人はそれぞれ他の人にはわからない何かを背負って生きています。徳川家康は「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し」と言いました。
それは誰にもあてはまっています。どれほど恵まれているように見えている人でもです。誰がどのような荷物を背負っているかは、その人になってみなければわかりません。
ネイティブアメリカンの諺に「他人を批判してはいけない。その人のモカシンを履いて1マイル歩いてみるまでは」というものがあります。自分のつらさと誰かのつらさは、全く質の異なるものである可能性が高いのです。みなそれぞれ荷を分け合って背負っていると思えばいいのかもしれません。その方も荷物を背負っていますし、つらい時期はまだしばらく続くかもしれないけれど、どうか負けないで欲しい。
リセット
この楽曲の中で坂井泉水さんは「誰だっていつかは決断するときが来る」「きっとガンバっテる君を誰かが見てるよ」と歌っています。これはラブソングではなく、純粋に励ましの歌、それも彼女が自分自身を励まそうとした歌ではないか、と思えます。それぞれに転機があり、その人にしかわからない決断のときがあります。それを見守っていてくれる存在もきっとあるはずなのです。
蝶軽やか秋の光を滑空す 優嵐
森の散歩にはいい季節になりました。少し開けたところでは、蝶、バッタ、トンボなどに会います。猪が木の実を探しているのにも出会いました。もう猪にはすっかり慣れて、まるで近所の犬を見るような感覚です。
今日の坂井泉水さんの月命日には、『リセット』を取り上げます。ZARDの37番目のシングル『もっと近くで君の横顔見ていたい』(03.11.12)のカップリング曲です。この曲を今日取り上げたのは、先日友人から「リセット」したとの言葉を聞いたからです。
細かい事情を聞いていたわけではありません。しかし、その方がかなりの時間苦しみ悩み考えた末の決断だったことは、よくわかりました。人はそれぞれ他の人にはわからない何かを背負って生きています。徳川家康は「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し」と言いました。
それは誰にもあてはまっています。どれほど恵まれているように見えている人でもです。誰がどのような荷物を背負っているかは、その人になってみなければわかりません。
ネイティブアメリカンの諺に「他人を批判してはいけない。その人のモカシンを履いて1マイル歩いてみるまでは」というものがあります。自分のつらさと誰かのつらさは、全く質の異なるものである可能性が高いのです。みなそれぞれ荷を分け合って背負っていると思えばいいのかもしれません。その方も荷物を背負っていますし、つらい時期はまだしばらく続くかもしれないけれど、どうか負けないで欲しい。
リセット
この楽曲の中で坂井泉水さんは「誰だっていつかは決断するときが来る」「きっとガンバっテる君を誰かが見てるよ」と歌っています。これはラブソングではなく、純粋に励ましの歌、それも彼女が自分自身を励まそうとした歌ではないか、と思えます。それぞれに転機があり、その人にしかわからない決断のときがあります。それを見守っていてくれる存在もきっとあるはずなのです。
コメント
コメント一覧 (4)
ほんとうに森の散歩にはいい季節になりましたね。
俳句が清清しい秋を表しており、好ましいです。
「リセット」、いい曲ですね。
ほんとうに誰も他の人にはわからない重荷を背負って生きているのだと思います。
もちろん、私も軽々しく人に言えない重荷を背負っています。
考え抜いた末に、「リセット」された優嵐さんの友人を祝福させてください。
ようやく「すがすがしい」とか「爽やか」とか秋にふさわしい言葉が使える気候になってきました。
ある程度生きてくると、「人生ってこんなもんだ」といえるような底の浅いもんじゃないな、と思えてきますね。軽々しく人を批判したり、揶揄したりするのは慎まなければならないと思っています。
そして、「重荷」はもしかしたら、重荷ではないのかもしれない、とも思うのです。「使命」かもしれない、とも。言葉ではなかなかうまく言えませんけれど。
「彼女が自分自身を励まそうとした歌ではないか」という見解には賛同します♪「きっとガンバっテる君を誰かが見てるよ」という歌詞は、泉水さんが、なにか目に見えない大いなる存在を信じておられたからでしょうね。
「誰かが見てるよ」という言葉には非常に励まされます♪
今日の俳句、「秋の光を」という言葉が美しいイメージを喚起して素敵です♪
確かに一風変わった曲ですね。ZARDの曲の中ではかなり短い方ではないか、とも思います。デビューの頃のテレビ出演時の映像もありますね。「誰かが見ている」、という感覚は人間にとって大事なんじゃないかと思います。そういう存在に向かって生きる、そんな感じ?
蝶もいろいろ見るのですが、種類によって飛び方に特徴があります。そういう違いを愛でるのも散歩の楽しみです。