□◆□…優嵐歳時記(2342)…□◆□
破蓮の隙(ひま)に透けいる水の青 優嵐
蓮は夏の初めに新しい葉が水面に浮かび始め、夏の盛りには茎を伸ばして大きな葉を茂らせます。その後、花が咲きます。秋半ばともなると蓮の実ができ、葉はしだいに枯れた色に変わり始めます。秋が深まるにつれ実を落とし、葉は枯れて茎も折れ、無残な姿になっていきます。
これを「破蓮」あるいは「敗荷」と書いて、「やれはす」または「やれはちす」と読みます。池の面ではすっかり衰えた雰囲気の蓮ですが、この時期に泥の下で蓮根が急生長しています。
五日ぶりにあの猪に会いました。やはり右前肢は折れているのか、同じ格好でひきずったままです。それでも小走りにかけているところを見て、野生というのはすごいものだと思いました。人間なら、骨折してそのまま平気で食事をするなんて、考えられないことです。
<秋の花>
頂にくるたび
増えているのは萩とすすき
播磨灘を望みながら風に吹かれている
遠くの田が鮮やかなピンクに
染まっているのに気がついた
あれは休耕田を利用したコスモスだろう
今ごろ気がついたの
私たちはずっと眺めているのよ
萩とすすきがそう言って笑った
破蓮の隙(ひま)に透けいる水の青 優嵐
蓮は夏の初めに新しい葉が水面に浮かび始め、夏の盛りには茎を伸ばして大きな葉を茂らせます。その後、花が咲きます。秋半ばともなると蓮の実ができ、葉はしだいに枯れた色に変わり始めます。秋が深まるにつれ実を落とし、葉は枯れて茎も折れ、無残な姿になっていきます。
これを「破蓮」あるいは「敗荷」と書いて、「やれはす」または「やれはちす」と読みます。池の面ではすっかり衰えた雰囲気の蓮ですが、この時期に泥の下で蓮根が急生長しています。
五日ぶりにあの猪に会いました。やはり右前肢は折れているのか、同じ格好でひきずったままです。それでも小走りにかけているところを見て、野生というのはすごいものだと思いました。人間なら、骨折してそのまま平気で食事をするなんて、考えられないことです。
<秋の花>
頂にくるたび
増えているのは萩とすすき
播磨灘を望みながら風に吹かれている
遠くの田が鮮やかなピンクに
染まっているのに気がついた
あれは休耕田を利用したコスモスだろう
今ごろ気がついたの
私たちはずっと眺めているのよ
萩とすすきがそう言って笑った

コメント
コメント一覧 (10)
今朝の川越は曇で少し寒いです。
俳句がいいですね。
秋も深まってきた蓮の葉の変化をよく表していると思います。
「破蓮(やれはす)」という言葉(季語)も初めて知りました。
写真がそうでしょうか?
万物流転ですね。
それにしても、野生のイノシシというのはほんとうにすごいですね。
<秋の花>は短いながらかわいらしい作品ですね。
読んでいて楽しくなってきます。
優嵐さんの今日がよき一日となりますように。
不自由な足で尻尾を振りながら弁当を食べる人の周囲をウロウロ。
私は東尾根を下って谷間を登りなおし。
誰も出会わなかった。
姫路はまずまずのお天気です。まだ昼間は暑いくらいですね。季節が20日ばかり遅れて進んでいる感じです。
破蓮という言葉、私も俳句に出会わなければ知らなかったと思います。写真の蓮を見て、俳句が浮かびました。東京や大阪のど真ん中ではなかなか俳句は詠みにくいだろうなあと思います。句の材料になるものが少ないですから。
萩はもう少し早く咲くと思っていたのですが、山頂近くでは今年は今が最盛期です。これも高温の影響でしょう。
フクヤンさんの一日がよきものとなりますように。
ご覧になりましたか。なんだかね、いたましい気持ちになって…。うかつに人間がえさを与えたから、結果的に人間を警戒しなくなり、怪我をすることになったのではないか、と思います。でも、一度えさをもらうことを覚えると、その誘惑は絶ち難い。なんだか、薬物中毒みたいですねぇ。
山上駐車場から東尾根を往復されたのでしょうか。
改めて、日本語の美しさを感じます。
猪、かわいそうですね。
これからどうなるのか…。
野生の生命力と過酷さを感じます。
最近、日本語は凄い言葉だと思うことしきりです。枯れた蓮を「やれはす」と呼ぶこと、さらにはそれに「破蓮」と「敗荷」との二種類の漢字をあてはめていること、これ、昔の日本人の感性の素晴らしさですね。さらに、もとを言えば、漢字を取り入れて、そこからかな文字を生み出し、表意文字と表音文字を並存させて今も使用していること、これはもう凄すぎるほど凄いことだと思います。
「やれはす」と単に音で聞くだけならひとつのイメージしか浮かびませんが、「やれはす」「ヤレハス」「破蓮」「敗荷」「yarehasu」と書けば、イメージは五倍ですよね。それぞれに違う映像が浮かびませんか?
猪、なんとか無事生き延びていって欲しいと思います。ただ、生きられなかったら、それも自然の定めなのでしょう。野生動物に安易にえさをやるのは慎まなければならないことですね。彼らの「野生」を狂わせることになりますから。
大抵別ルートで登り返し。
「やれはす」知らなかったね、
長池も蓮がイッパイ、でも、
まだヒシもイッパイで水面が見えないねー。
>大抵別ルートで登り返し。
広峰・増位はいろいろなコースがありますね。かなり歩きましたが、組み合わせるとバリエーションがいろいろあって楽しい。高い山ではないから「山に登る」と気負わなくていいし。そこがいいところでしょうか。
優嵐様に予告の通り詩を書きました。
ちょっといかつい詩になりましたが、他所の土地に出た人間からはどうしても違う見方になります。
蓮といえば先日京都の法金剛院に行きました。蓮の名所ですが10月の今は蓮の花もなく少々殺風景な庭でした。秋は思わず嘆かせるような冷涼さを持ってきますね。京都も朝晩は随分冷えるようになりました。
一方レンコンは姫路の名産と聴いた覚えがあります。
「ぽえっと1985」という名前で子供の頃の事を詩に書くのですが、関東のほうの詩友達にはひどく昔の時代に写るそうで、朗読をする友達に今回詩をひとつ代読してもらうことになりました。姫路って関東の都会のほうから見ればずっと時代が巻き戻っているような土地なのかなと思いを深めたことがあります。子供の頃の話をすると、他の詩人さんからも同じように言われたり・・・。
詩、mixiの日記で読ませていただきました。詩の感想を書くというのは、難しいものですね。なかなか言葉になりません。心の中にある芯(良くも悪くも両方あるのでしょうが)を見つめながら書いておられるのかなあと感じました。
蓮はこの時期になると、零落、凋落のイメージで語られるようになりますね。京都は盆地なので寒暖の差が激しいでしょう。
関東の方から見ると、姫路は一昔前の雰囲気が残っているのでしょうか。それはいいことでもあるような気がしますが。もっと別の地方だとどうなのでしょう。東北とか九州とか…。また、関東とひとくちにいっても、東京の都心部ばかりではないと思いますし。