□◆□…優嵐歳時記(2376)…□◆□ 

  歓談の店の戸出れば冬の雨   優嵐

月曜日は雨になりそうです。月が暈をかぶっています。アートセラピーに参加するために大阪へ行っていました。その後参加者の方たちと晩ご飯を食べ、店を出たら、ぱらぱらと雨が降り出していました。

いつものように最初にお手玉をやりました。お手玉の重要性を見直してくださいね、と講師の方。単純な子どもの遊びにしか見えないけれど、お手玉をやることによって、自分の意識を全身に巡らせることができるようになります。何か具体的なものを使って自分の状態に目をむけるきっかけとするというのは、アートと同じです。

自分の内側にあることに気づく手がかりとして何か具体的なものを使うというのは、先日からここで書いている断捨離ともつながりがある、と思いました。ものを捨てるという具体的行為、行動によって自分の内側にあるものを見たり、自分の内側の変化を感じることができます。

まず何かを行ってみる、そのフィードバックを受けて考える、それを繰り返せば流れを作ることができます。変わりたいと思っても人がなかなか変われないのは、最初に考えて立ち止まってしまうからです。

アートセラピーで何を目指しているのかということについてまとめの話をききました。自分で意識できている「私」というのは非常に限定されたものです。もっと大きな私というものがあり、それがあるいは「ハイヤーセルフ」と呼ばれたりときには神や仏といった名前で呼ばれることもあります。そういう存在から常にサインやメッセージが来ています。

ところが限定された「私」はそのメッセージをすんなり受け入れることができません。それをブロックしているのが執着、判断、思い込み、経験、是非といったものです。直感を信じることができずにあれこれと考えてしまいます。そのブロックを外すための手段としてアートを使っているのです。

気づき、受け取って、手放し、変化を待つ、もしそれが必要でないならば、そこに向かって行っても手に入りません。それが今、必要か必要でないかをハイヤーセルフは知っており、必要でないものは与えられないからです。人生は学びの過程であり、それぞれで学びの課題も過程も違います。

人を殺すのがなぜいけないかというと、「その人が学ぶべき人生というチャンスを奪うことになるから」です。ハイヤーセルフのサインを受け取れるようになると、学びの過程がよりスムーズに進むということなのでしょう。


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