□◆□…優嵐歳時記(2408)…□◆□
おだやかに晴れてやわらか枇杷の花 優嵐
暖かい日が続いています。ビワの花は白から黄白色で、直径一センチほどです。苞やがくに黄土色の綿毛があり、蕾のときはそれにすっぽりと包まれています。指でふれてみるとビワの果皮を連想します。ほのかに甘い香りがあり、バラ科です。確かに花そのものをよく見ると、サクラやウメに似ています。花の時期は11〜1月ごろまでですが、同じ木でも花房によって時期が異なります。果実は2月末からゆっくり肥大して、5〜6月に黄橙色に熟します。果実の「枇杷」は夏の季語です。
<解放への道>
本当のあなたは
あなたの記憶や心、身体、感情、思考などとは別の存在である
それらとあなた自身を混同するため
苦しみから逃れられない
あなたが見ることができるものは
本当のあなた自身ではありえない
目が目自身を見ることができないように
自分自身について知っていることは
すべて本当の自分自身ではなく
自分自身が持っているものにすぎない
自分自身ではないあらゆるもの
感情、記憶、要求、身体感覚などと
同一化し巻き込まれてしまうために
恐怖と苦悩が生れる
そこから一歩身を引き
ただあるがままに見つめる
それが解放への道
おだやかに晴れてやわらか枇杷の花 優嵐
暖かい日が続いています。ビワの花は白から黄白色で、直径一センチほどです。苞やがくに黄土色の綿毛があり、蕾のときはそれにすっぽりと包まれています。指でふれてみるとビワの果皮を連想します。ほのかに甘い香りがあり、バラ科です。確かに花そのものをよく見ると、サクラやウメに似ています。花の時期は11〜1月ごろまでですが、同じ木でも花房によって時期が異なります。果実は2月末からゆっくり肥大して、5〜6月に黄橙色に熟します。果実の「枇杷」は夏の季語です。
<解放への道>
本当のあなたは
あなたの記憶や心、身体、感情、思考などとは別の存在である
それらとあなた自身を混同するため
苦しみから逃れられない
あなたが見ることができるものは
本当のあなた自身ではありえない
目が目自身を見ることができないように
自分自身について知っていることは
すべて本当の自分自身ではなく
自分自身が持っているものにすぎない
自分自身ではないあらゆるもの
感情、記憶、要求、身体感覚などと
同一化し巻き込まれてしまうために
恐怖と苦悩が生れる
そこから一歩身を引き
ただあるがままに見つめる
それが解放への道
コメント
コメント一覧 (4)
今朝の川越はよく晴れて、寒いです。
おかげさまで2日間のクリスマスケーキ製造のアルバイトを無事終えることができました。
ケーキやパンのアルバイトは何度も行きましたが、食品会社の仕事は概ねきついです。
昨日、右手の人差し指を使いすぎて痺れているので、中指で打っています。
いい俳句ですね。
冬の晴の日の「おだやかさ」と「やわらかさ」を枇杷の花にたくして素直に詠んでいます。
こちらは、22日(水)の朝までは雨でしたが、その後は穏やかな天気が続いています。
でも、姫路と違ってかなり寒いです。
枇杷もバラ科なのですね。初めて知りましたが、バラ科の植物の多さに改めて驚きました。最近は果実に種のない品種(その分食べがいのある。)が出てきています。
<解放への道>は哲学的で、深い内容をもった詩ですね。
確かに自分が自分自身について知っていることは本当の自分ではありません。
「本当の自分」など存在しないという極論をいう人がいますが、私は、以前、優嵐さんが触れた「超越的自己」は存在すると考えています。
恐怖と苦悩の原因を哲学的に非常によく考察しています。
サティシュ・クマールさんの『君あり、故に我あり』で読んだような英知を感じます。
詩の最後の節、「ただあるがままに見つめる」、非常に難しいですが、それこそが「解放への道」だとはおっしゃるとおりだと思います。
ちなみに、将棋の大山康晴名人は自分を客観視できた稀有の人でした。
ケーキ製造のアルバイト、お疲れ様でした。フクヤンさんが作られたケーキが今日は店頭に並んでいますね。食品は保存が難しいですし、期日が限られていて時間的にきつい労働になってしまうのでしょう。ほっとして風邪などひかれませんように。
種無しビワの話はネットで見たことがあります。まだ食べたことはありませんが、あの大きな種が全部果肉になるのですから、ボリュームがあるでしょうね。
<解放への道>は『無境界』の一番印象に残ったところをそのまま詩にしています。ある意味で現実世界は実はもうひとつの夢なんだと思いますね。夢の中の自分は夢をリアルだと思っていますが、実は夢。この世は超越的自己が見ているひとつの夢です。
夢を見る技術に「明晰夢」というものがあるそうで、「夢を見ていると自覚しながら夢のなかにいる」というものです。そんなことができるのか、と思いますが、現実世界でこれはひとつの夢だと思いながら思考や感情を客観的に見るようにすれば、そのまま「明晰夢」になりますよね。
よくドラマなどで「夢なら覚めてくれ」なんてセリフがありますが、覚めるには自分が「これは夢だ」と自覚してそれを観察するようにすればいいのだろうと思いました。夢と思ったからといって現実にある出来事が変わるわけではありませんが、巻き込まれて不必要な恐怖や苦悩を感じる度合いは減ります。
自分をつないでいる鎖を外すのは実は自分自身でしかない。そのことを賢者は常に言い続けてきていますが、ほとんどの人間は外界を変えることに意識がいってしまいます。そして皮肉にも外界は自分が変わらない限りまず変わりません。
私は、2009年9月に「全ての人間はも真っ白い清らかな霊的な存在」、優嵐さんの詩の「自分自身でないあらゆるもの」を例えばそれらを最初はリュックサックとして背負ってきたのに、そのリュックが重くて肩に食い込んで自分自身と同化してしまってリュックも自分自身と思ってしまっているんだ!ということが分かって、それから「解放への道」を歩き始めました。そのことを信じられてからは生きてることがまったく別の意味を持ちました。道の途中ですがこの道を歩いています。
民族や宗教の種類にかかわらず、聖典や経典、あらゆる霊的な教えが述べていることは、真実はシンプルである、ということですよね。私もようやくそのことに目を開かせていただきつつあります。
さらに、真実への鍵は内側へ向かうことだとも言いますよね。これも確かにそうだと思います。内側にその道があるのだけれど、なかなかそれが理解できません。だから外側を探して探して探して…。結局見つからない。「3分間で幸せになる法則」的なハウツー本を読んで試しても、根本がわかっていないからうまくいかない。
自分が変わらないと何にも変わらないというのは、単純ながら、これしかない真実ですね。