□◆□…優嵐歳時記(2427)…□◆□
厳寒の森は静かに明るくて 優嵐
連休明けの朝は冷え込みました。姫路でも氷点下になっていたようです。快晴で日が高くなるにつれて気温はあがりましたが、お昼に増位山へ行ってみると、山上の池は蛇ヶ池も放生池もまだ氷が張っていました。風はほとんどなく、森を歩いていると鳥の声さえ聞こえず、しーんとしていました。寒さに生きものがみな身を潜めている、そんな感じです。
夜、今年初めてテニスをしました。気温は低かったのですが風はなく、コートで気持ちよく動くことができました。家でパンを焼いて持ってきてくださった方があり、焼きたてほかほかの美味しいパンをいただきました。皮がぱりっとしており、香ばしさが印象に残りました。
<遊びをせんとや>
ボールを追ってコートを走る
ラケットとボールという道具を使って
ルールの中でやりとりをする
その面白さ
ボールを使ったスポーツは
散歩や登山とはまた一味違う楽しさを
与えてくれる
ボールはゲームのため
遊ぶためだけに考え出された
なんてすばらしい道具
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん…
厳寒の森は静かに明るくて 優嵐
連休明けの朝は冷え込みました。姫路でも氷点下になっていたようです。快晴で日が高くなるにつれて気温はあがりましたが、お昼に増位山へ行ってみると、山上の池は蛇ヶ池も放生池もまだ氷が張っていました。風はほとんどなく、森を歩いていると鳥の声さえ聞こえず、しーんとしていました。寒さに生きものがみな身を潜めている、そんな感じです。
夜、今年初めてテニスをしました。気温は低かったのですが風はなく、コートで気持ちよく動くことができました。家でパンを焼いて持ってきてくださった方があり、焼きたてほかほかの美味しいパンをいただきました。皮がぱりっとしており、香ばしさが印象に残りました。
<遊びをせんとや>
ボールを追ってコートを走る
ラケットとボールという道具を使って
ルールの中でやりとりをする
その面白さ
ボールを使ったスポーツは
散歩や登山とはまた一味違う楽しさを
与えてくれる
ボールはゲームのため
遊ぶためだけに考え出された
なんてすばらしい道具
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん…
コメント
コメント一覧 (4)
今朝の川越は快晴。
気温は0℃で、昨日ほどではありませんが寒いです。
いい俳句ですね。
確か東山魁夷さんの絵に、この俳句にピッタリの絵がありました。
冷え切った森に陽の光が差している様が目に浮かぶようです。
今朝、サティシュ・クマールさんの「今、ここにある未来」というDVDを見ましたが、人間が自然の一部であるということ、そのことを自覚するために自然の中を歩くことがいかに重要であるかという話をされていました。
優嵐さんは、それを実践していますね。
素晴らしいです。
<遊びをせんとや>は、12世紀後半に書かれた『梁塵秘抄』に載っている唄に由来する詩ですね。
遊び(テニス)の素晴らしさを上手く詠んでいます。
辻信一さんという人が『スローライフ100のキーワード』(弘文堂)という本で、「遊びは日常の現実生活の論理性から逸脱しているから、そして合目的性から自由であるから輝いている。「無駄」だからこそ充実している。」と書かれて、「思えば我々は誰もがみな、遊ぶために生まれてきたのではなかったのだろうか。」と結んでいます。
私も、そのとおりだと思います。
私は、本態性の低血圧症で、最高血圧が100に届くか届かないかくらいしかありません。そのため心拍数が高く、すぐ息切れしてしまうため、テニスなどのスポーツはあまり長時間はできません。
代わりに将棋などの頭を使った遊びをよくしています。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
今朝の姫路も冷えています。室温五度です。
東山魁夷さんの絵には「静謐な祈り」とでもいう雰囲気が漂っていますね。そこが好きです。自然の中を歩くのはいいですよ。特に、なんでもない自然歩道のなだらかな道は一番いい。そこをゆっくり自分のペースで歩くのがいいです。
ボールはさまざまに形を変えて球技という人間のゲームの中でも最大規模を誇る遊びになりました。ボールは「何かのため」に考案された道具ではない、ということに気づいてうれしくなりました。他のものはみんな何らかの機能的な目的(多くは戦争だったりします)のために考案されているのに、ボールは違いますよね。
人間はある意味で「目的依存症」のようなところがあります。何らかのため、という理屈をつけないではいられません。遊びですらそうで、子どもには「知育玩具」という不思議な分野があり、さらに「成績をよくするから〜をさせなさい」といったお勧めが目白押し。大人にはこれにかわって「健康にいい」というのが大流行です。歩くのも走るのもなんでも健康のため。なんだか今を取り逃がして、常に未来ばかり見ている人間のさがを見るようです。
低血圧だと朝がつらいとよく聞きますが、いかがですか?
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。
特に先進国といわれる国に多いと思います。
ただ遊びたいから遊びたい、ただ休みたいから休みたいということを許さないような風潮があります。
優嵐さんも気付いているように、「ただ、いること」(beinng)の復権が必要ですね。
それから、優嵐さんの仰るように、低血圧なので、朝は辛いし眠っている時間も長いです。
将来のために今を犠牲にする、というのは、蟻とキリギリスのお話のように望ましいこと、とされていますよね。これは多分、先進国のモラルなんでしょう。危機感をあおり、「これではだめだ」という雰囲気が特に日本は好きですから、いっそうそれが顕著なのかもしれません。もっとゆるくていいんじゃないか、と思いますが。