□◆□…優嵐歳時記(2428)…□◆□
霜柱踏みゆく幼き日のように 優嵐
この冬は寒くなるという予報どおりの冬になっています。随願寺の境内へ行くとお昼でも影になっているところには霜柱が残っており、それをさくさくと踏んで感触を楽しみます。子どもの頃、冬の登校時には霜柱を踏んで遊んだものでした。それを思い出します。
霜柱は地中の水分が地表に染み出て、寒さのために凍結し、柱状の結晶になったものです。庭石や燈篭が霜柱で持ち上げられていることもあります。寒中で気温は低いのですが、周囲の山や森の木々を見ていると、なんとなく春の準備をしているという気配を感じます。陰の極は陽に転じる、という言葉そのままです。
<仲間たちと>
小学校のときの一番の思い出は
学校の勉強でも遠足でも運動会でもない
五年生か六年生のとき
クラスの仲間十人ほどで
近所の千メートルほどの山に登ったことだ
行きはバスで登山口までいった
ところが帰りのバスがなく
十数キロの道のりを歩いて帰った
仲間がいたからできたこと
しんどかったというよりも
思いがけない冒険をしたという記憶
頂に立ったそのことよりも
仲間たちと歩いて帰ったことの方が
鮮明に残っている
霜柱踏みゆく幼き日のように 優嵐
この冬は寒くなるという予報どおりの冬になっています。随願寺の境内へ行くとお昼でも影になっているところには霜柱が残っており、それをさくさくと踏んで感触を楽しみます。子どもの頃、冬の登校時には霜柱を踏んで遊んだものでした。それを思い出します。
霜柱は地中の水分が地表に染み出て、寒さのために凍結し、柱状の結晶になったものです。庭石や燈篭が霜柱で持ち上げられていることもあります。寒中で気温は低いのですが、周囲の山や森の木々を見ていると、なんとなく春の準備をしているという気配を感じます。陰の極は陽に転じる、という言葉そのままです。
<仲間たちと>
小学校のときの一番の思い出は
学校の勉強でも遠足でも運動会でもない
五年生か六年生のとき
クラスの仲間十人ほどで
近所の千メートルほどの山に登ったことだ
行きはバスで登山口までいった
ところが帰りのバスがなく
十数キロの道のりを歩いて帰った
仲間がいたからできたこと
しんどかったというよりも
思いがけない冒険をしたという記憶
頂に立ったそのことよりも
仲間たちと歩いて帰ったことの方が
鮮明に残っている
コメント
コメント一覧 (2)
今朝の川越は快晴。
気温は1℃で寒いです。
子供のころを思い出させてくれる素敵な俳句ですね。
私も、子供のころ、霜柱を踏みつけ、その感触を楽しむのが大好きでした。
今年の冬は寒くなるという気象庁の予報は当たりましたね。
川越では、週末にかけて一層寒さが厳しくなるようです。
天気予報では、西日本も寒さが厳しくなるようです。
優嵐さんもお風邪など召されぬように祈っています。
川越では春の準備の気配はまだ感じられませんが、常緑樹や水仙などの植物は健気に生きています。
<仲間たちと>は、子供のころの思い出を鮮やかに詠んだ詩ですね。
私は、ボースカウトだったので、夏の野外キャンプが一番の思い出です。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
追伸 優嵐さんから教えてもらった『無境界』を読んでいます。
鬱病と自律神経失調症のためあまり速く読めません。
が、やっと「8−ケンタウロスのレベル」まで来ました。
今まで思いもしなかった、しかし重要なことが多く書かれています。
『君あり、故に我あり』と通ずる所も多いです。
読み終えたら感想を送らせていただきます。
姫路は快晴の霜の朝です。光が明るく、寒いですが気持ちがいいです。寒さと明るくなっていく光、これが寒中の魅力ですね。
思い出というのは、思いがけない形で起きたことの方が強く印象に残っている気がします。あとは何気ない日々のちょっとしたことでしょうか。特別なイベントというのは、意外に薄れるものかもしれません。
『無境界』、興味深いことが書いてあるでしょう?これを読んで、ケン・ウィルバーの著作を読もうと思いました。内側のことについて納得できるような言葉で書いてあるんですね。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。