□◆□…優嵐歳時記(2433)…□◆□
橋凍てて車の列を長くする 優嵐
朝の積雪は数センチ程度だったか、と思います。それでも周囲の道路は大渋滞でした。特に、橋に向かって道路が高くなっている坂の部分を上りきれない車が続出し、渋滞をいっそうひどくしていました。ふだんほとんど雪の降らない地域であるため、雪に対する備えをしている人が少ないのです。
「凍つ」とは凍ることです。ここでは道路上の水分が凍っていることを詠んでいますが、季語ではこうした物理現象だけでなく、もっと広い意味での寒気として詠まれます。光、音、ものみなすべてが寒気の中で冷たく凍っているように感じられ、「鐘凍つ」「月凍つ」などと使われています。
今年は冬らしい厳しい寒さを詠んだ季語を使うことができます。暖冬だと、姫路のように暖かいところでは、「厳寒」とか「凍つ」などという季語を使う機会がありません。雪がたびたび降るのは困りますが、俳句を詠むには新鮮です。
<空に満ちる光>
雪が降ったので
河原へ散歩に出かけた
さくさくと残る雪を踏んで
堤を登っていく
冬の川は水量が減り
ほそぼそと流れている
その中ほどに
ぽつんとダイサギがたたずんでいた
葦も薄も枯れ果てて
いっそ明るい
広々とした空に満ちる光は
冬の終りが近いことを
知らせている
橋凍てて車の列を長くする 優嵐
朝の積雪は数センチ程度だったか、と思います。それでも周囲の道路は大渋滞でした。特に、橋に向かって道路が高くなっている坂の部分を上りきれない車が続出し、渋滞をいっそうひどくしていました。ふだんほとんど雪の降らない地域であるため、雪に対する備えをしている人が少ないのです。
「凍つ」とは凍ることです。ここでは道路上の水分が凍っていることを詠んでいますが、季語ではこうした物理現象だけでなく、もっと広い意味での寒気として詠まれます。光、音、ものみなすべてが寒気の中で冷たく凍っているように感じられ、「鐘凍つ」「月凍つ」などと使われています。
今年は冬らしい厳しい寒さを詠んだ季語を使うことができます。暖冬だと、姫路のように暖かいところでは、「厳寒」とか「凍つ」などという季語を使う機会がありません。雪がたびたび降るのは困りますが、俳句を詠むには新鮮です。
<空に満ちる光>
雪が降ったので
河原へ散歩に出かけた
さくさくと残る雪を踏んで
堤を登っていく
冬の川は水量が減り
ほそぼそと流れている
その中ほどに
ぽつんとダイサギがたたずんでいた
葦も薄も枯れ果てて
いっそ明るい
広々とした空に満ちる光は
冬の終りが近いことを
知らせている
コメント
コメント一覧 (2)
今朝の川越は快晴。
気温は氷点下3℃で非常に寒いです。
川越でも十年以上前に30cmくらい雪が積もったことがありますが、電車やバスは止まるし、自転車は使えないしで大変でした。
富山の友人からは、「富山ではそのくらいの雪では、生活に何の支障もない」と聞かされ、あらためて普段雪があまり積もらない土地の生活基盤の脆弱さを思い知ったことがあります。
「凍つ」は『広辞苑』でも冬の季語として載っていました。
いかにも凍りつくような冷たさを感じさせますね。
ただ「凍る」だけではなく、季語としてもっと広い意味で使われることを知り、また一つ勉強になりました。
<空に満ちる光>は、なかなか素敵な叙景詩ですね。
川越でも日に日に日差しが延び、春が近づいていることを感じます。
枯れたままの葦や薄が春を呼んでいるようです。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
寒波は一段落し、今日は穏かな晴天です。
生活基盤が脆弱、というより、普段はそういうものが必要ないから当然だと思います。もし、雪国での装備を東京や大阪の都心部に住む人間が全員用意するとしたら、過剰装備でしょう。都市基盤でもそうです。融雪装置を都心の道路につける必要性は低いですね。たまに雪が降って都会の人間が右往左往しているのを見て雪国の人が溜飲を下げるのもいいのでは(笑)
昨日は阪神淡路大震災の震災日でした。あのあと、震災に備えて防災グッズが大量に売れましたが、一生に一度あるかないかというようなことに個人が万全な備えをしようとのは、無理でしょう。何ごともトレードオフがあり、あらゆることに備えることはできませんから。
田舎の人間にとって車は必需品ですが、都心部に住む人にとっては高価なぜいたく品です。すべてのものがそういうものじゃないか、と。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。