□◆□…優嵐歳時記(2436)…□◆□
大寒の川は夜明けを映しおり 優嵐
この時期の川は水量が減っています。日本海側では積雪となって川には入らず、太平洋側では晴天が続いて雨量が少ないためです。市川の河原を三日続けて散歩していると、いつも同じような場所からアオサギが飛び立つのに会います。おそらくそのアオサギの決まった餌場なのでしょう。
アオサギは日本にいる野鳥の中では最も大きな部類に入りますが、気配を消しているため、すぐ近くまでいることに気づきません。そのまま通り過ぎれば何ごともなく過ぎるのですが、あちらが警戒して逃げて行きます。ばさばさっと大きな鳥がすぐ近くから飛び立つので、びっくりします。
<美>
絵を描き始めて
「美しい」とされるものだけが
「美しい」わけではないことに気がついた
「美しさ」はそこにあるのではなく
私が発見するものだ
その「美しさ」は誰かに向かって
提示できるものであると同時に
私の内側にしかないものでもある
大寒の川は夜明けを映しおり 優嵐
この時期の川は水量が減っています。日本海側では積雪となって川には入らず、太平洋側では晴天が続いて雨量が少ないためです。市川の河原を三日続けて散歩していると、いつも同じような場所からアオサギが飛び立つのに会います。おそらくそのアオサギの決まった餌場なのでしょう。
アオサギは日本にいる野鳥の中では最も大きな部類に入りますが、気配を消しているため、すぐ近くまでいることに気づきません。そのまま通り過ぎれば何ごともなく過ぎるのですが、あちらが警戒して逃げて行きます。ばさばさっと大きな鳥がすぐ近くから飛び立つので、びっくりします。
<美>
絵を描き始めて
「美しい」とされるものだけが
「美しい」わけではないことに気がついた
「美しさ」はそこにあるのではなく
私が発見するものだ
その「美しさ」は誰かに向かって
提示できるものであると同時に
私の内側にしかないものでもある
コメント
コメント一覧 (4)
今朝の川越は晴。
気温は氷点下1℃で、大寒の昨日ほどではないですが寒いです。
川越でも川の水量が減っていますが、そういう訳だったのですね。
また一つ勉強になりました。
アオサギは、1m近くある大きな鳥ですね。
漂鳥で、冬は人里近くに来ますが、川越では見たことがありません。
普通のシラサギなら田んぼや川にたくさんいますが。
<美>は、「美しさ」の本質をついた詩ですね。
岸田秀さんという心理学者は、「すべては幻想である。美醜さえも」といったことを書いていますが、まさに「美しさ」とは、初めからそこにあるものではなく「発見」されるものです。
その証拠に、新しい時代を切り開いた天才的な画家たちの多くは、初めのうち、それもかなり長い間、世間から認められず、不遇でした。
マネ、モネ、ゴッホ、モディリアーニなど数え切れません。
ピカソも常に時代の最先端を走り続けていたため、晩年の諸作品はその当時は酷評され、認められるようになったのは死後10年も経ってからでした。
オオイヌノフグリの花、可憐で美しいですね。
これも、発見された「美」だと思います。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
川越ではアオサギを見かけられたことがない、というのにはびっくりしました。姫路では一番ありふれた鳥ですので。
ちなみに「シラサギ」は、ダイサギ、チュウサギ、コサギという三種類の鳥の総称です。姫路でいちばんよく見かけるのはコサギです。同じように全身真っ白ですが、大きさが異なること、コサギは足が黄色いことで見分けがつきます。
芸術家というのは、常に新しい美を発見しようとしてきた人たちですよね。美しさというのは、自分の感覚で見つけていくものだから、こちらから発見しようという気持ちで向きあわないと、見つけられないものだといえるかもしれません。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。
「美しさ」はそこにあるのではなく私が発見するものだ・・・という自由詩、スケッチを実践しておられる優嵐さんならではの素晴しい発見ですね!人が見過ごしてしまう事物に「美」を発見する時は、雑念や先入観がなく「意識」がクリーンになっているのかもしれません。
寒がりのからくりさんにはつらい冬ですね(笑)
美というのは、そこにあるものというよりは、いえ、確かにあるんですが、見る人がそれを発見しないとそれがその人にとって存在することにはならない、と実感しました。また、発見されるのを待っている美は実に膨大だ、とも。