□◆□…優嵐歳時記(2440)…□◆□
頂に吹く風たおやか春近し 優嵐
増位山の山頂は東南に向かって開いているため、冬は季節風があたらず陽だまりとなって暖かな場所です。そこにある西行と在原業平の大理石製の歌碑に座って周りを眺めるのが好きです。昨日の山頂では、時おりやわらかな風が感じられました。それはもう冬の北風ではなく、間違いなく春の香りがします。菅原道真が「東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠んだ風とは、こういう風だったのか、と思ったりしました。
最近、ケン・ウィルバーの著作を続けて読んでいます。自分が十代のころから抱いてきた疑問に対するひとつの考え方が記されていて、興味深いのです。特に彼が示している「私・私たち・それ・それら」(統合心理学への道)、というこの世界を構成する四つの象限の考え方は大変興味深く、納得できるものです。
世界はそのままに昔からあるのですが、それをどうとらえるかによって見え方やあり方がこんなに変わるものか、と驚きます。しばらく本は読まないだろうと思っていた矢先にケン・ウィルバーに出会い、ちょっとなかなか、これは…と思いながら読み進めているところです。
<具象絵画>
写真の発明で具象絵画には意味がなくなったという人がいる
写真のように描く技術には意味がなくなったと
それは半分正しく半分間違っている
具象絵画が示すのは描かれている「何か」ではない
描いている人自身だ
描いている人のものの見方
描いている人の感じ方
それらはすべて異なっている
誰かの「よう」に描くことが無意味なのは
それがあなた自身を示していないから
頂に吹く風たおやか春近し 優嵐
増位山の山頂は東南に向かって開いているため、冬は季節風があたらず陽だまりとなって暖かな場所です。そこにある西行と在原業平の大理石製の歌碑に座って周りを眺めるのが好きです。昨日の山頂では、時おりやわらかな風が感じられました。それはもう冬の北風ではなく、間違いなく春の香りがします。菅原道真が「東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠んだ風とは、こういう風だったのか、と思ったりしました。
最近、ケン・ウィルバーの著作を続けて読んでいます。自分が十代のころから抱いてきた疑問に対するひとつの考え方が記されていて、興味深いのです。特に彼が示している「私・私たち・それ・それら」(統合心理学への道)、というこの世界を構成する四つの象限の考え方は大変興味深く、納得できるものです。
世界はそのままに昔からあるのですが、それをどうとらえるかによって見え方やあり方がこんなに変わるものか、と驚きます。しばらく本は読まないだろうと思っていた矢先にケン・ウィルバーに出会い、ちょっとなかなか、これは…と思いながら読み進めているところです。
<具象絵画>
写真の発明で具象絵画には意味がなくなったという人がいる
写真のように描く技術には意味がなくなったと
それは半分正しく半分間違っている
具象絵画が示すのは描かれている「何か」ではない
描いている人自身だ
描いている人のものの見方
描いている人の感じ方
それらはすべて異なっている
誰かの「よう」に描くことが無意味なのは
それがあなた自身を示していないから
コメント
コメント一覧 (4)
今朝の川越は晴。
気温は3℃で、川越でも春が近づいているのが感じられます。
いい俳句です。
増位山では、もうやわらかな春の香りがする風が感じられるのですね。
昨日、家で育てているコマツナの葉が虫に食われているのを見つけました。
春は確実に近づいてきています。
「春近し」、いい季語です。
ケン・ウィルバーの『無境界』は難しかったけれど、とても興味深い本でした。
『統合心理学への道』もおもしろそうですね。読んでみたいです。
<具象絵画>は、具象絵画の本質をついた詩ですね。
具象絵画は「他の誰かに見られるように」描くのではありません。
「描く人自身が見えるように」描くのです。
マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャンなど近代絵画の歴史が、それをはっきり物語っています。
「具象絵画が示すのは・・・描いている人自身だ」は卓見です。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
私は「たおやか」という言葉が大好きなのですが、風に「たおやか」という言葉を当てはめるのが、とても美しくて、言いえて妙で、すごいと思いました。
札幌は今から2月はじめにかけてが最も寒い時ですが、あと1ヶ月もすれば、風に春の香りがし始めるので、心待ちにしています。
ケン・ウィルバーの著書、気になります!!
コマツナに虫で、春近し。いろいろなところで春の兆しが生まれつつありますね。
ケン・ウィルバーはおもしろいです。専門的なことについていろいろ書いてある本は山のようにありますが、彼がしているのは、それらをまとめて概観しながら新しいものの見方を示すということです。世界は変わっていないのだけれど、「ものの見方」がなければ、私たちは世界を把握することさえできない、ということに気づき、驚きます。
<具象絵画>は自分で絵を描くようになって感じたことでした。同時に、自分が自分のものの見方を見つける、そのためにも絵を描くということは有効じゃないか、と思うのです。技法書をいろいろ読んで、でもこの描き方は好きじゃない、というものがありました。それはその画家の絵であって、自分の方法じゃない、と。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。
「たおやか」という言葉、いいですよね。素敵な日本語で私も好きです。この言葉でしかあらわせない感じ、ありますよね。
北海道はそろそろ雪まつりでしたね。寒いでしょうね〜。大陸的な寒さだろうなあと想像します。北国や雪国の方ほど春への思いはつのるでしょうし、それだけに春を迎える喜びは大きい、そう思います。
ケン・ウィルバー、いいですよ。目からウロコでした。