□◆□…優嵐歳時記(2442)…□◆□
指さして山の名を呼ぶ春隣 優嵐
山頂でお会いした方から「高御位(たかみくら)はどこでしょうか」とたずねられました。高御位山は標高304m、加古川、姫路、高砂の三つの市の境界線付近にある山です。岩尾根で、毎日登山を楽しまれる方もあり、そこからは明石海峡大橋を間近に望むことができます。
晴天でしたが、昼間の気温はあまりあがりませんでした。それでも光が明るく、刻々と近づく春を感じることができます。この感覚をあらわしたのが「春隣(はるとなり)」という季語です。
坂井泉水さんの月命日です。今日はZARDの41枚目のシングルとして『悲しいほど貴方が好き』と両A面で発売された『カラッといこう!』(06.3.8)を取り上げます。昨日、『DIAMONDS』だったから、というわけでもないんですが、この歌詞の中では、ダイヤモンドのカラットと表題の「カラッと」が掛け合わされています。
カラッといこう!
生前のシングルとしては最後から二番目のものであり、歌詞が初期のころとはかなり変わってきていることに気がつきます。言葉が重層的で謎めいているとでも言えばいいでしょうか。歌詞全体から単なるラブソングというよりも、聴き手への応援のメッセージソングともとれ、聴き手によっていかようにも解釈可能といえます。
「キミ」が登場するのは相変わらずですが、この「キミ」は果たして誰なのか、とも思います。ラブソングとしての恋人なのか、聴き手なのか、それとももっと違う誰かなのか…。両A面の一方の『悲しいほど貴方が好き』が文字通り切ない歌なのに対し、こちらは曲調ががらっと変わった明るさです。しかし、単純に明るく楽しいというだけのものでもありません。
私が最も印象深かったのはこのフレーズです。
終わったわけじゃないヨ
まだ始まってもいないんだから
幻想はいつまで続く?
目の前の現実(いつわり)に目を伏せた
どこか哲学的な内容だと思われませんか?
指さして山の名を呼ぶ春隣 優嵐
山頂でお会いした方から「高御位(たかみくら)はどこでしょうか」とたずねられました。高御位山は標高304m、加古川、姫路、高砂の三つの市の境界線付近にある山です。岩尾根で、毎日登山を楽しまれる方もあり、そこからは明石海峡大橋を間近に望むことができます。
晴天でしたが、昼間の気温はあまりあがりませんでした。それでも光が明るく、刻々と近づく春を感じることができます。この感覚をあらわしたのが「春隣(はるとなり)」という季語です。
坂井泉水さんの月命日です。今日はZARDの41枚目のシングルとして『悲しいほど貴方が好き』と両A面で発売された『カラッといこう!』(06.3.8)を取り上げます。昨日、『DIAMONDS』だったから、というわけでもないんですが、この歌詞の中では、ダイヤモンドのカラットと表題の「カラッと」が掛け合わされています。
カラッといこう!
生前のシングルとしては最後から二番目のものであり、歌詞が初期のころとはかなり変わってきていることに気がつきます。言葉が重層的で謎めいているとでも言えばいいでしょうか。歌詞全体から単なるラブソングというよりも、聴き手への応援のメッセージソングともとれ、聴き手によっていかようにも解釈可能といえます。
「キミ」が登場するのは相変わらずですが、この「キミ」は果たして誰なのか、とも思います。ラブソングとしての恋人なのか、聴き手なのか、それとももっと違う誰かなのか…。両A面の一方の『悲しいほど貴方が好き』が文字通り切ない歌なのに対し、こちらは曲調ががらっと変わった明るさです。しかし、単純に明るく楽しいというだけのものでもありません。
私が最も印象深かったのはこのフレーズです。
終わったわけじゃないヨ
まだ始まってもいないんだから
幻想はいつまで続く?
目の前の現実(いつわり)に目を伏せた
どこか哲学的な内容だと思われませんか?
コメント
コメント一覧 (2)
今朝の川越はよく晴れていますが、かなり寒いです。
姫路はいいところですね。
比較的温暖で、近くに海と登れる山がある。
理想的な環境に思えます。
「春隣」、いい季語ですね。
春が間近に迫っている感覚を二文字で見事に表しています。
清々しい、いい俳句です。
ZARDの「カラッといこう!」と「悲しいほど貴方が好き」、両方とも初めて聴きましたが、いい曲ですね。
やはりZARDの曲に外れはありません。
確かに後者の曲は、切ないラブソングでわかりやすいですが、前者の曲は不思議な雰囲気がありますね。
3回聴きましたが、優嵐さんのいうとおり、「キミ」が誰なのかよくわからないし、ただ明るく楽しいというだけの曲でもありません。
ただ人を惹きつける何かがあることだけは確かです。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
姫路も霜のおりた寒さ厳しい朝です。霜に朝日があたり、寒中らしい朝ですね。「春隣」は好きな季語です。春を待つ心をとても的確に表していると思います。寒いけれど、軽やかさがある、そういうこの季節にぴったりの言葉です。
坂井泉水さんの詞は2000年以後しだいに哲学的な雰囲気が強くなってきているように思います。彼女がこのころから体調を崩しがちであったということも大きいのかもしれません。単なるラブソングを超えて、聴き手がさまざまな解釈をすることが可能になっている、とでもいえばいいでしょうか。
それでいて、ラブソングとしての完成度も失っていない、単に難解な歌になっているわけではない、というあたりがZARDの見事なところ、と思います。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。