□◆□…優嵐歳時記(2444)…□◆□
播磨灘沖に来ている明日の春 優嵐
「明日の春」は「春近し」などと同様、春が間近だという思いをあらわす季語です。増位山の頂に立つと、北播磨から淡路まで一望することができます。北の空には雪雲が出て、北部は雪が降っているようでした。その一方で、播磨灘にさす光は春の兆しが日ごとに濃くなり、冬と春の真ん中に座っている気分でした。
境内の梅林はまだ咲いていませんが、ゆっくり歩いているとジョウビタキがやってきました。中国西部からウスリー、サハリンで繁殖し、日本には冬鳥として飛来します。雄はシルバーグレイの頭、オレンジ色のお腹、黒い羽で背中に白い斑があり、よく目だちます。
尾をふってはヒッ、ヒッと短く鳴きながら梅の枝を飛び移ります。私から半径5〜10mくらいの円状をぐるっと一回りしました。しげしげと彼がこちらを見ていることもあり、楽しいひとときでした。
<汀にて>
苦しみや悲しみの中にいるとき
そこから逃れようとしてはならない
苦しみの最中にあって苦しみを見つめ
悲しみの最中にあって悲しみを見つめる
喜びや楽しみの中にいるとき
それにしがみつこうとしてはならない
喜びの最中にあって喜びを見つめ
楽しみの最中にあって楽しみを見つめる
それらはみな同じ波
寄せては還す波
やってきては去っていく
汀に座って
波が打ち返すさまを
静かに眺めていよう
播磨灘沖に来ている明日の春 優嵐
「明日の春」は「春近し」などと同様、春が間近だという思いをあらわす季語です。増位山の頂に立つと、北播磨から淡路まで一望することができます。北の空には雪雲が出て、北部は雪が降っているようでした。その一方で、播磨灘にさす光は春の兆しが日ごとに濃くなり、冬と春の真ん中に座っている気分でした。
境内の梅林はまだ咲いていませんが、ゆっくり歩いているとジョウビタキがやってきました。中国西部からウスリー、サハリンで繁殖し、日本には冬鳥として飛来します。雄はシルバーグレイの頭、オレンジ色のお腹、黒い羽で背中に白い斑があり、よく目だちます。
尾をふってはヒッ、ヒッと短く鳴きながら梅の枝を飛び移ります。私から半径5〜10mくらいの円状をぐるっと一回りしました。しげしげと彼がこちらを見ていることもあり、楽しいひとときでした。
<汀にて>
苦しみや悲しみの中にいるとき
そこから逃れようとしてはならない
苦しみの最中にあって苦しみを見つめ
悲しみの最中にあって悲しみを見つめる
喜びや楽しみの中にいるとき
それにしがみつこうとしてはならない
喜びの最中にあって喜びを見つめ
楽しみの最中にあって楽しみを見つめる
それらはみな同じ波
寄せては還す波
やってきては去っていく
汀に座って
波が打ち返すさまを
静かに眺めていよう
コメント
コメント一覧 (2)
今朝の川越は晴。
気温は0℃で寒いです。
「明日の春」は、いい季語ですね。
春が間近に迫っていることを直に感じさせてくれます。
播磨灘にさす光に春の兆しを見て、それを素直に詠んだいい俳句です。
ジョウビタキの写真を見ましたが、美しい鳥ですね。
驚きました。
川越では、まだ見たことがありません。
野鳥の観察もいいですね。
<汀にて>は哲学的な詩ですね。
人生の苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみを波に例えて、「やってきては去っていく」様をうまく表現しています。
人生のあらゆる出来事は、すべて人生という曲の音符に過ぎないといった人がいましたが、読んでいてそれを思い出しました。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
姫路も晴れてよく冷えています。霜に朝日があたり溶け始めています。
ジョウビタキ、可愛いでしょ?比較的人家の近くにも現れ、あまり人を怖がりません。だいたい単独で行動しています。野鳥にも必ず群れているものと単独で行動するものがあり、おもしろいですね。
<汀にて>は、「執着を捨てること」と言ってもいいです。ものごとはつねに去来しますが、都合のよいことのみを選択したい、と私たちは思います。そこに苦悩が生まれるんだなあ、と。苦も楽もともにただ来ては去るわけです。じっとそれを見ていればいい。
「人生という曲の音符にすぎない」というのはいい喩えですね。人生の真の姿というのは、こうした比喩の形をとってしか、私たちには理解できないものなのかもしれません。