□◆□…優嵐歳時記(2446)…□◆□
枝の影踏んで山路の寒さかな 優嵐
日曜はぐっと冷え込みました。日中でも最高気温は3度でした。光が明るいので年末のころほど心理的な寒さがないのですが、気温そのものはあのころより下がっていたのではないか、と思います。立春前の最後の寒さでしょう。
随願寺ではご近所の方が集まって追儺会の準備をされていました。その日は境内で護摩が焚かれ、いつもは静かな境内が大勢の人でごったがえします。一度来たことがありますが、人ごみが苦手なので、早々に頂へ行きました。
<蜘蛛の糸>
小学校の国語の時間に
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の感想を発表するという授業があった
クラスのほとんどが
カンダタは馬鹿だと述べた
「カンダタは蜘蛛の糸を独り占めせずみんなと分け合うべきでした」
そういうのだ
あほらしいと思った
そしてお釈迦さまに腹がたった
自分は極楽に身をおいて地獄で苦しむ人間を試すとは
許しがたい
ずっとそう思ってきた
今は少し見方が違う
『蜘蛛の糸』は「みんなで仲良く分け合いましょう」などという
道徳話ではないかもしれない
蜘蛛の糸は天からそれぞれの人に差し出された
導きの糸なのではないか
私たちは一人残らず地獄にいる
死んで地獄へいったりはしない
私たちは地獄の血の池の中に生を享ける
そこへするすると降りてくるのが蜘蛛の糸
信じて登っていきなさい
そう内側から呼びかける声を聴くことができず
人は不安にかられて叫んでしまう
蜘蛛の糸を切るのは私たち自身なのだ
それぞれの蜘蛛の糸を見出しそれを信じて登る
それだけが人を地獄から救う
枝の影踏んで山路の寒さかな 優嵐
日曜はぐっと冷え込みました。日中でも最高気温は3度でした。光が明るいので年末のころほど心理的な寒さがないのですが、気温そのものはあのころより下がっていたのではないか、と思います。立春前の最後の寒さでしょう。
随願寺ではご近所の方が集まって追儺会の準備をされていました。その日は境内で護摩が焚かれ、いつもは静かな境内が大勢の人でごったがえします。一度来たことがありますが、人ごみが苦手なので、早々に頂へ行きました。
<蜘蛛の糸>
小学校の国語の時間に
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の感想を発表するという授業があった
クラスのほとんどが
カンダタは馬鹿だと述べた
「カンダタは蜘蛛の糸を独り占めせずみんなと分け合うべきでした」
そういうのだ
あほらしいと思った
そしてお釈迦さまに腹がたった
自分は極楽に身をおいて地獄で苦しむ人間を試すとは
許しがたい
ずっとそう思ってきた
今は少し見方が違う
『蜘蛛の糸』は「みんなで仲良く分け合いましょう」などという
道徳話ではないかもしれない
蜘蛛の糸は天からそれぞれの人に差し出された
導きの糸なのではないか
私たちは一人残らず地獄にいる
死んで地獄へいったりはしない
私たちは地獄の血の池の中に生を享ける
そこへするすると降りてくるのが蜘蛛の糸
信じて登っていきなさい
そう内側から呼びかける声を聴くことができず
人は不安にかられて叫んでしまう
蜘蛛の糸を切るのは私たち自身なのだ
それぞれの蜘蛛の糸を見出しそれを信じて登る
それだけが人を地獄から救う
コメント
コメント一覧 (2)
今朝の川越は晴。
気温は氷点下4℃で極寒です。
水道のお湯の方が凍りついて出ません。
明日から二月、もう少しの辛抱だと春を待ち望んでいます。
<蜘蛛の糸>は、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の新しい解釈ですね。
私も、子供のころ読んだときは、お釈迦さまはずるいと腹が立ちました。
優嵐さんの詩を読んで、同じく芥川龍之介の『地獄変』を思い出しました。
そこには「この世は、地獄よりも地獄的である。」と書かれています。
まさに私たちは地獄に生きているのだといえます。
詩の第五節がとても新鮮で素晴らしいです。
私はクリスチャンなので主イエスをひたすら信じ、「蜘蛛の糸」を登っていきたいと思います。
写真の鬼瓦が詩とマッチしていますね。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
水道、大変でしたね。こちらも非常に冷え込んで、朝の室温が2度でした。外は恐らく氷点下数度になっていたと思います。冷え込みは明日の夕方あたりまで続くようです。
『地獄変』も子どものときに読みました。衝撃的な話だったので印象に残っています。「この世は地獄よりも地獄的」、ある意味でそうかもしれません。芥川龍之介の作品はシンボリックというか、読み手の読み方しだいでかなり作品の姿が変わるもののような気がします。もう一度読み返してもいいかもしれない、と思いました。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。