□◆□…優嵐歳時記(2467)…□◆□
折り畳み椅子の背固き多喜二の忌 優嵐
20日は小林多喜二の忌日でした。多喜二は日本のプロレタリア文学を代表する作家であり、非合法であった日本共産党に入党して活動していました。1933年2月20日、スパイの手引きで特高警察に逮捕され、拷問によってその日のうちに築地警察署内で虐殺されています。満29歳と4ヶ月でした。
ワーキングプアの問題などから近年、『蟹工船』が注目を集め、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーになったほか、09年には映画化もされています。
<じっと見ること>
もし自分が何ものかを知りたければ
誰かに教えを乞うたり
書物を読んだりする必要はない
日々自分の内側に沸き起こってくるものを
じっと観察していればいい
立派な人間になろうとして
何か目標をたてることは
逆に自分をごまかしてしまう
自我は巧妙だから
何も求めずそこにあるものを見ること
ただそれだけでいい
あなたの内側には
すべてを見出す力がすでに存在している
折り畳み椅子の背固き多喜二の忌 優嵐
20日は小林多喜二の忌日でした。多喜二は日本のプロレタリア文学を代表する作家であり、非合法であった日本共産党に入党して活動していました。1933年2月20日、スパイの手引きで特高警察に逮捕され、拷問によってその日のうちに築地警察署内で虐殺されています。満29歳と4ヶ月でした。
ワーキングプアの問題などから近年、『蟹工船』が注目を集め、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーになったほか、09年には映画化もされています。
<じっと見ること>
もし自分が何ものかを知りたければ
誰かに教えを乞うたり
書物を読んだりする必要はない
日々自分の内側に沸き起こってくるものを
じっと観察していればいい
立派な人間になろうとして
何か目標をたてることは
逆に自分をごまかしてしまう
自我は巧妙だから
何も求めずそこにあるものを見ること
ただそれだけでいい
あなたの内側には
すべてを見出す力がすでに存在している
コメント
コメント一覧 (4)
今朝の川越は曇。
相変わらず寒いです。
小林多喜二は、逮捕されたとき、特高警察は初めから殺すつもりで拷問したといわれています。
あのようなファシズムの時代を二度と来させてはならないと強く思います。
<じっと見ること>は、優嵐さん得意の哲学的な詩ですね。
ヘッセの『内面への道』を思わせます。
いろいろ考えさせられました。
いい詩だと思います。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
20世紀の前半というのは、日本にとっては史上もっとも暗い時代だったのではないか、と思います。狂気の時代だったというべきか。
人間は、自分が正しいと思っていることのための方が残虐になれる気がして恐ろしいですね。宗教戦争が果てしなく続くのもそうですし、思想犯罪に対する弾圧はいつの時代も苛烈です。「正しい」ということに対する疑問符を常にもっていないと、簡単にプロパガンダにごまかされてしまいます。
人は陶酔しやすいし、何かに身を捧げるようなことを美しいと思う傾向があります。また、誰かや何かを「ワルモノ」にするのが好きです。そういうところが自分にあるとキモにめいじていたいですね。
フクヤンさんの今日がよきものでありますように。
最近「健全」という詩を書いてみましたが、一本槍で尖った、意義を認めない社会の怖さを最近感じることがあって思わず詩に起こしたのです。多喜二の流行の向こうには時代が当時に似てきているという若者の危惧もあるのでしょう。実際、これほど弱い政治が続くとファッショな勢力の台頭を招きやすくなります。
個人的にはまっとうな結婚、まっとうな家庭を持つことで人並みの土俵に立ちたいという目標があるのですが、社会がそればかりにガチガチになると零れ落ちる人間への無慈悲を生んでしまいます。
自分の目標を「自分らしさ」の中に包含して溶かすことが出来れば一番よいですね。
マルサスとマルクス、一字違いの笑い話ですね。ただ、革命的共産主義と当時の日本のような国家主義は全体主義ということではほぼ双子ですね。全体がまず個人に先んじて、国家にとって共同体にとって都合の悪いものは抹殺されます。
民主主義が衆愚政治に落ち込みやすいのは、多数決の暴力がまかり通って、「国にとってよいもの望ましいものこそすばらしい」という全体主義的論理に傾いてしまうからなのではないか、と思います。そういう論調はわかりやすく、受け入れられやすいですから。
政治に関しては、あれだけ長く自民党の単独政権が続いたのだから、そうすんなりと二大政党政治にはならないでしょう。それなのに性急に結果を求めすぎている気がします。今、どの政党が政権をとったところで、かつての自民党政治のような安定多数にはたどりつけない、と思いますね。そこで危険なのがナチスの台頭を許したような「英雄待望論」でしょうね。