□◆□…優嵐歳時記(2495)…□◆□
紅白梅咲くを次々車窓より 優嵐
大阪へ行っていました。今年度最後のアートワークに参加するためでした。東での震災の影は全く感じられず、大阪は通常と同じ姿でした。しかし、自分自身が街や人々を見る目が変わっているということに気がつきました。
今回はバイオグラフィーの最終回で、私も発表を行いました。私が取り上げたのは、ZARDの坂井泉水さん(40歳没)でした。まとめをおこなってみて、アーティストを取り上げることのみに視点が行っていて、自分と対照させるのをおろそかにしていたな、と気がつきました。
これまでのアーティストの生涯を見ていて、その誰もがふさわしい時代に生まれその時代に必要とされたことを行っているという印象を受けました。そういう切り口で「バブル崩壊からの復興」という視点で彼女の活動を考えてみたのですが、それはあくまで公式のことでした。
公式のことよりも、自分との共通点を見出し、そこから課題を見つけるのがこのワークの目的なのです。自分のバイオグラフィーは以前に作成していて、そこからそれなりの気づきを得ていたこと、あまり何度も自分の成育歴について話したくないこと、などからそれを発表には入れませんでした。家庭環境のことを話しだすとつい嫌な感情が蘇ってくるからです。さらに、何度か話しているので、「もうわかってもらっているだろう」と思ったのが間違いだったようです。
また、彼女の生涯と現時点までの自分の生涯に共通点があるようには思えなかったということもあります。いくつかの記述や歌詞から類推する限り、坂井泉水さんは生育家庭環境には恵まれていたのではないか、と感じます。家庭不和の中で育った自分とは全く違います。
さらに彼女自身の弱点と思える、人前で緊張しぎこちなくなってしまうという部分ですが、これも私とは反対です。私は初対面の大勢の人の前でも平気で話すことができます。YouTubeなどの動画に残るテレビ出演中の彼女を見て驚いたのは、これだけの容姿と能力に恵まれていながら、なぜそのように緊張するのか、ということでした。怖いものなど何もないではないか、と。
ただ、他人が外から見て感じることと、その人自身が感じることは、随分食い違っていることが珍しくありません。今日の発表ではオードリー・ヘップバーン(64歳没)を取り上げられた方がありました。オードリーが自分の容姿にコンプレックスを持っていたというのには驚きました。そして、この弱い部分を裏返せば、他にはない強みに変化するのもひとつの真実です。
私が坂井泉水さんを取り上げようと思ったのは、自分自身の生育家庭環境に対する負のこだわり、ずっと引きずっていたものを、なぜかはわかりませんが、突然、逆の視点から眺められるようになった2009年の2月から3月にかけての変化、そのきっかけにZARDの音楽があったということだけでした。それだけで彼女は私にとって特別な存在なのです。
しかし、自分との共通点や学ぶものがなければ、バイオグラフィーに取り上げようとは思わない、その人を選ぶということ自身にすでに何らかの意味がある、ということでしたので、自分なりに帰宅しながら考えるともなく考えていました。まだ少し時間がかかりそうなので、今日はここでいったん置きます。
<素晴らしいスタッフ>
彼女は素晴らしいスタッフに恵まれた
確かにそうだ
視点を変えてみよう
誰もが素晴らしいスタッフに恵まれている
きみがここに来て学ぶべきことを
サポートしてくれるスタッフ
それはきみが日々接している人々だ
どうしようもない
救いようが無い
なんだってこんなやつと
そう思う人こそが
最高のサポートスタッフなのだ
その人を鏡に自分を見ている
その人が課題を見せてくれている
紅白梅咲くを次々車窓より 優嵐
大阪へ行っていました。今年度最後のアートワークに参加するためでした。東での震災の影は全く感じられず、大阪は通常と同じ姿でした。しかし、自分自身が街や人々を見る目が変わっているということに気がつきました。
今回はバイオグラフィーの最終回で、私も発表を行いました。私が取り上げたのは、ZARDの坂井泉水さん(40歳没)でした。まとめをおこなってみて、アーティストを取り上げることのみに視点が行っていて、自分と対照させるのをおろそかにしていたな、と気がつきました。
これまでのアーティストの生涯を見ていて、その誰もがふさわしい時代に生まれその時代に必要とされたことを行っているという印象を受けました。そういう切り口で「バブル崩壊からの復興」という視点で彼女の活動を考えてみたのですが、それはあくまで公式のことでした。
公式のことよりも、自分との共通点を見出し、そこから課題を見つけるのがこのワークの目的なのです。自分のバイオグラフィーは以前に作成していて、そこからそれなりの気づきを得ていたこと、あまり何度も自分の成育歴について話したくないこと、などからそれを発表には入れませんでした。家庭環境のことを話しだすとつい嫌な感情が蘇ってくるからです。さらに、何度か話しているので、「もうわかってもらっているだろう」と思ったのが間違いだったようです。
また、彼女の生涯と現時点までの自分の生涯に共通点があるようには思えなかったということもあります。いくつかの記述や歌詞から類推する限り、坂井泉水さんは生育家庭環境には恵まれていたのではないか、と感じます。家庭不和の中で育った自分とは全く違います。
さらに彼女自身の弱点と思える、人前で緊張しぎこちなくなってしまうという部分ですが、これも私とは反対です。私は初対面の大勢の人の前でも平気で話すことができます。YouTubeなどの動画に残るテレビ出演中の彼女を見て驚いたのは、これだけの容姿と能力に恵まれていながら、なぜそのように緊張するのか、ということでした。怖いものなど何もないではないか、と。
ただ、他人が外から見て感じることと、その人自身が感じることは、随分食い違っていることが珍しくありません。今日の発表ではオードリー・ヘップバーン(64歳没)を取り上げられた方がありました。オードリーが自分の容姿にコンプレックスを持っていたというのには驚きました。そして、この弱い部分を裏返せば、他にはない強みに変化するのもひとつの真実です。
私が坂井泉水さんを取り上げようと思ったのは、自分自身の生育家庭環境に対する負のこだわり、ずっと引きずっていたものを、なぜかはわかりませんが、突然、逆の視点から眺められるようになった2009年の2月から3月にかけての変化、そのきっかけにZARDの音楽があったということだけでした。それだけで彼女は私にとって特別な存在なのです。
しかし、自分との共通点や学ぶものがなければ、バイオグラフィーに取り上げようとは思わない、その人を選ぶということ自身にすでに何らかの意味がある、ということでしたので、自分なりに帰宅しながら考えるともなく考えていました。まだ少し時間がかかりそうなので、今日はここでいったん置きます。
<素晴らしいスタッフ>
彼女は素晴らしいスタッフに恵まれた
確かにそうだ
視点を変えてみよう
誰もが素晴らしいスタッフに恵まれている
きみがここに来て学ぶべきことを
サポートしてくれるスタッフ
それはきみが日々接している人々だ
どうしようもない
救いようが無い
なんだってこんなやつと
そう思う人こそが
最高のサポートスタッフなのだ
その人を鏡に自分を見ている
その人が課題を見せてくれている
コメント
コメント一覧 (8)
今朝の川越は雨。寒いです。
この雨には、内部被曝を起こす放射性物質が含まれていることは、ほぼ確実なので、今日は終日家にこもるつもりです。
「想定外」や「「すぐには」健康に影響が出ない」等の発言を繰り返す、TVに出ている電力会社関係者や御用学者たちには、うんざりさせられます。
今、東海大地震、東南海大地震、南海大地震が起こったら、それこそ、この美しい日本はお終いです。
今、一刻も早く、全国の原発を停めるために、インターネットと電話を使って奔走しています。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
原発事故はまだ収束したわけではありませんから、緊張が続きますね。それでもある程度時間が長くなると、人間はどのようなものにさえ慣れていくという性質があります。そうでなければ生きていけない、ともいえますね。
原発が危険なものであることは日本人はこれでよく理解できたと思います。ただ、喉もと過ぎたら忘れるもの人間です。スリーマイル島では原発が再稼動していますし。原子力発電が本当に世界からなくなるには、それなしでもやっていけるという代替案が必要だと思います。
今回の事故はそれを日本人に考えよ、と示唆しているのではないか、と思うのです。『鉄腕アトム』が日本のロボット科学者を育てたように、この事故の教訓が恐怖のストーリーとしてだけでなく、新しい夢のあるエネルギーのストーリーを伴って語られるようになったら、日本から世界に新しいものを発信できます。改造、改良がうまい日本人なのですから、現在あるエコ技術を本気で役立つ身近なものにするアイデアだって、きっと出せるはずです。
危険や恐怖を語るだけでは、恐らく原発は止りません。どれほど危険でも核兵器がなくならないのと同じで、なくても大丈夫なのだという共通認識を作り上げるのが、時間がかかるように思えても一番の近道ではないでしょうか。
見かけは全く平常ですね。
帰りの高速は渋滞で大変でした、
結構皆さん行楽に出掛けたようです。
東に向かう緊急車両の隊列に非常事態を感じます。
姫路の自衛隊も空っぽです。
西は街中には震災の気配なし、ですよね。昨日は地下鉄の中で10cmくらいの長さのネイル・チップ(つけ爪)をしたおねえさんを見かけ、いやあ、こっちは平和やわあと思ってしまいました。目の前では別のおねえさんが3cmほどありそうなつけまつげをせっせとつけているし(^^;
真夏の猛暑期さえも、原発(停電)は必要がないことが、過去の事例から明らかになっています。
少し、節電すれば、火力、水力で電気は足りているのです。
今は、使えるはずの火力、水力発電をかなり休止させています。
関東地方で行われている「計画停電」は、いわば「原発がなくなったら困るだろう」という脅しです。
みな、それ(恫喝)に気付き始めています。
>少し、節電すれば
これは、今回の危機の際にみんなが一斉に節電に努めて回避できたことからも明らかですね。ただ、ここで見落としがちになるのは、追い詰められたらできること、を平常時に継続して誰もができるわけではない、ということです。
何を継続してできるか、は人それぞれで違います。今回の震災で日本人の規律、モラルなどが世界中から賞賛を浴びています。日本人からすれば「それはそんな特別なことなのか?」と思うようなことが、諸外国からみれば仰天するような凄いことなのです。これは日本人の長所であると同時に、あるときは欠点になります。
今、首都圏が節電できたのは緊急避難だからです。私は以前、保健師をしていました。そのとき、いろいろな方に保健指導をしました。そして、いつも疑問に思っていました。どうしてこんなあたり前の簡単なことを継続してできないのか、と。しかし、できない。それが人間なのです。
たとえば、今、放射能で大騒ぎになっていますが、そのレベルよりはるかに発がん性が高いタバコをやめられない人が大勢います。生活習慣病というように、生活習慣に無意識に根ざした行動を長期に渡って変換していくのは極めて難しい。簡単にみえることほどそうです。また、できる人からは、なぜできないのかが理解できません。
節電を続けろと言うのは簡単ですが、まず継続できないと考えた方がいいでしょう。必ず抜け道を見つけようとするからです。そして、それが悪いかといえば、そうではなく、その中から新しい技術、知識、知恵が生まれてきます。
難しい課題かもしれませんが、2009年の2月から3月にかけての変化を誘発したZARD、坂井泉水さん
には、やはり何か大きな意味があると思います。もしかして、優嵐さんの魂というか直観の奥深いところでは、その意味も理解しているのかもしれませんね。今後の考察に期待します♪
坂井泉水さんの件は、自分では経験したこともないようなことなので、困惑しました。ありがたいとは思いましたが、今でもうまく説明ができません。原因を考察し、その成り立ちを筋道立てて話すということ、私にとっては、こういうことは得意分野に入ります。パズルを組み上げるように、論理展開していくことはとても面白いですから。
ところが、今回に限ってはとっかかりからして奇妙。もし他の人がこんなことを言ったら、「はあ?」と思うでしょう。しかし、実際に自分の中で起きたことですから、解きほぐしていくことはできるはずなのですが。ただ、言葉でうまく説明できないことというのはあるもんだ、と今は思っています。だから絵や音楽という言葉を使わない芸術があるのでしょうし。
しかし、少しずつヒントのようなものは集まっているのかもしれない、と感じています。「似ている」部分を探すのではなく、視点を変えてみる、それが鍵かなあ、と。