□◆□…優嵐歳時記(2497)…□◆□
曇天や山路に満ちる木の芽の香 優嵐
なかなか暖かくなりませんが、森を散歩していると、木々が芽吹く独得の香りが漂ってくるようになりました。ちょっと生臭いような、形容の難しい香りです。震災と原発事故のニュースにどうしても気持ちが重くなります。それでも春は確実に進んでおり、ヤブツバキがぎっしり蕾をつけて次々咲いています。
マイミクの方が日記で次のような動画を紹介されていました。『失敗は伝わらない』として、大津波の教訓が活かされなかったということを、「失敗学」の畑村洋太郎教授が説明されています。津波だけでなく、背筋が凍るような思いをしている原発についても、果たして失敗を伝えることができるのでしょうか。
経済の上で、バブルは繰り返すというのは定説です。津波の教訓が活かされないというのも、一種のバブルなのだと思います。バブルは「儲かる」という欲に目がくらむのだし、津波や災害の教訓が伝わらないのは、目先の便利さと手軽さに流されてしまうからです。
福島原発の事故で、日本ではしばらく原発の新規建造はないでしょう。しかし、原子力に代るエネルギーが開発されなければ、日本でもあと三十年もすれば、再び原発を建設しよう、という機運が高まるはずです。「もう科学がはるかに進んだ」「安全対策は十分だ」という言葉がメディアに溢れるようになるに違いありません。バブルは必ず「今度ばかりは大丈夫」という声に乗ってどんどん膨らみますから。
<十六年>
阪神淡路大震災からわずか十六年
そう思っていたのだが
今は、よく十六年があったと思う
地球にとって十六年などほぼ同時に等しい
本当に同時に起こっていたら
日本は立ち直れなくなっていただろう
この十六年に蓄積したものが今活かされる
復興とは次の震災への備えをすることでもある
曇天や山路に満ちる木の芽の香 優嵐
なかなか暖かくなりませんが、森を散歩していると、木々が芽吹く独得の香りが漂ってくるようになりました。ちょっと生臭いような、形容の難しい香りです。震災と原発事故のニュースにどうしても気持ちが重くなります。それでも春は確実に進んでおり、ヤブツバキがぎっしり蕾をつけて次々咲いています。
マイミクの方が日記で次のような動画を紹介されていました。『失敗は伝わらない』として、大津波の教訓が活かされなかったということを、「失敗学」の畑村洋太郎教授が説明されています。津波だけでなく、背筋が凍るような思いをしている原発についても、果たして失敗を伝えることができるのでしょうか。
経済の上で、バブルは繰り返すというのは定説です。津波の教訓が活かされないというのも、一種のバブルなのだと思います。バブルは「儲かる」という欲に目がくらむのだし、津波や災害の教訓が伝わらないのは、目先の便利さと手軽さに流されてしまうからです。
福島原発の事故で、日本ではしばらく原発の新規建造はないでしょう。しかし、原子力に代るエネルギーが開発されなければ、日本でもあと三十年もすれば、再び原発を建設しよう、という機運が高まるはずです。「もう科学がはるかに進んだ」「安全対策は十分だ」という言葉がメディアに溢れるようになるに違いありません。バブルは必ず「今度ばかりは大丈夫」という声に乗ってどんどん膨らみますから。
<十六年>
阪神淡路大震災からわずか十六年
そう思っていたのだが
今は、よく十六年があったと思う
地球にとって十六年などほぼ同時に等しい
本当に同時に起こっていたら
日本は立ち直れなくなっていただろう
この十六年に蓄積したものが今活かされる
復興とは次の震災への備えをすることでもある
コメント
コメント一覧 (12)
今朝の川越は晴。
寒いです。
こちらの生活はだいぶ落ち着いてきました。
買いだめもする人もいなくなりました。
でも、余震がしょっちゅうあります。
「失敗は伝わらない」を見て、人間の愚かさにやるせなくなります。
まさに、その通りです。
でも、ここで何としても(生活水準を下げても!)原発は終わらせなくてはならないと強く思います。
優嵐さんの今日がよきものでありますように。
昨日はコショウノキの花を撮りに出かけました。 ジンチョウゲの白花と言ってもいいと思います。 コチラはいい香りだ、でも強すぎるかなー。
私は怖いナーと思い海岸の宿には泊まらなかったが、海岸に大勢住んでいるねー。 海岸の工場には勤めていた、
チリ地震の時湾の底が見えて高い所を探したナー。 幸い堤防は越えなかった。
余震が続くのは大変でしょう。被災地から遠いものにはなかなか実感できないことです。「失敗は伝わらない」は人間の本質を突いていると思います。ですから、この本質に根ざした解決策を考えないと、何度でも原発や津波の災害は繰り返されます。
そして、生活水準を長期に渡って下げることは、ほぼ不可能と考えて対策を考える必要があります。新しい技術というのはバラ色であると同時にパンドラの箱の一面を持っています。いいことのみを手にすることはできないのです。
もはやエアコン、自家用車、ケータイ、インターネットのない時代には絶対にもどりません。一部の人はできるかもしれませんが、それは一部の趣味人です。そして、元に戻らないから、私たちは今洞窟には暮らしていないのです。原発の建設を止めている間にやらなければならないのは、代替のもっと安全で効率的なエネルギーの開発です。
同時に、私たちができることは、どのようにすれば快適で、なおかつ災害時の悲惨さがより少ない暮らしを作り上げることができるか、ではないでしょうか。たとえば、毎日定時に何千万人もの人間が「通勤」という名の大移動をする必要があるのか。集まるから巨大なオフィスが必要だし、巨大な交通システムを寸分の狂いもなく動かさなければなりません。電力消費も膨大です。
発達したインターネットを利用して、できることはもっとあるのではないでしょうか。ボランティアや募金も大事ですが、「その先」に向けてそれぞれがじっくり考えることが大事です。特に、被災地から離れている西の人間は、それが一番いま大事な「できること」だと私は思います。
そうですか、ヒサカキの花なのですか。ありがとうございます。TAK.ECHOさんは植物の写真を撮られるのですね。デジタル一眼レフを使われるのでしょうか? コショウノキ、どんな花だったっけなあ、とすぐには思い浮かびません。俳句を詠むようになってから、かなり植物を見分けられるようになりましたが、まだまだですねぇ。
日本は平地が少なく、海岸線か河川の周囲しか住むところがありませんものね。昨日、YouTubeで今回の津波の前の「引き波」を見ました。港の水がぐーんと沖へ引いてテトラポットがむき出しになっていました。
うむ〜、考えさせられる動画です。
人間というのは、楽観的に考え易い、あっという間に忘却する、という類い希なる能力を持っていたからこそ、絶滅することなくここまで生き長らえてきたとも言えます。悲観的かつ忘却しない動物だと、フロンティア開拓能力がないので、絶滅から逃れることができません。
しかし、同じ理由によって、無数の悲劇やバブルや災害に遭ってきたとも言えます。忘却があるからこそ、悲劇の歴史は必ず繰り返されます。
全く、人間は懲りない生き物だから、生き残ってきたというのはアタリだと思います。この映像を見て単に人間はなんて愚かなんだと嘆くだけなら、誰にでもできます。これを見て考えるべきは、だからこそ、の人間の強みと弱みを組み合わせて活かす対策だと思うのです。
危険だ恐ろしいというスローガンだけで、後ろ向きの「やるな、やめよう、するな、行くな」みたいなことを言ったところで、人間は絶対にやめません。やめたら、もっともっと長期のスパンで見れば衰亡します。好奇心とチャレンジ精神を失ったら終りです。
日本人は保守的と一見思われていますが、実は違うと私は思います。外界への熱狂的な憧れ、模倣と改良精神、そういうものをずっと持ち合わせており、ある意味で「子ども」です。その好奇心と改良精神を使って新しい暮らし方、エネルギーのあり方を探る時期なんじゃないか、と思います。
わたしはこの動画を見て、唖然とするとともに、とても悔しいと思いました。人間はこんなに馬鹿なはずはないと思いたいからです。
知恵を出し合って考えれば、きっと良くできるはずだと思うんです。ただ、やはり独占はいけませんね。そのしくみがネックです。いろいろ調べてみると、まだ戦後を引きずってたりするようですね。http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110318_4983.php
昔と違って、原発というものを生みだしたからには、まるっきりの繰り返しは避けなければいけないと思います。日本人がやっぱり馬鹿だったか少しは利口か、今後のエネルギー政策がそれを物語るでしょうね。わたしはもう死んでるかも知れませんけど。
と、達観したようなことを言いつつ、毎日の余震にビビる毎日です。
余震お見舞い申し上げます。
あの動画を見て、まあ、ありえることだろうなと思いました。人間とはそういう存在ですから。タバコをやめられない人は、「もしこの一本吸えば確実に死ぬというならやめられるけど、そうじゃないから吸ってしまう」と言っていました。津波も原発もいっしょでしょう。逆に、そういう性質があったから、前に進みここまで発展したという面があると思います。
電力を振り分けている電力会社の仕組み、「へえ〜」でした。昔から、なぜ電力という重要なものを国や自治体が供給しないのか不思議でした。ここにまだ戦後が残っていたとは…。日本国内のベルリンの壁みたいなものですね。
震災は大変な悲劇でしたが、これで本当に戦後のあらゆるものを完全に払拭できる可能性が出てきましたね。エコやエネルギーに関する技術をこれだけ日本がすでに持っているのなら、仕組みさえ変えれば、先は明るい。こういう明るい話をどんどん広げていただきたいと思います。復興の目玉はエネルギー政策ですよ。技術がないならまだしも、あるのに資本主義の仕組みのために出し渋るなんて、アホとしか言いようがありません。
川の側はどんなに堤防やダムが有っても洪水の恐れ。
火山の近くは磐梯山や八ヶ岳の様に大崩壊。
富士山の噴火を考えると東京には住めない。
過去の大火を考えると山の近くや大都会は避けないと。
でも海の近くはヤッパリ怖いなー。
人間、事故にあうときはあうし、死ぬ時は死ぬと思っています。そういうもんです。しかし、個人としてはそれですんでも重要な都市機能、特に首都機能のようなものは、東京のようなところに一極集中させるのは今回のことで、あらためて危険だと感じました。
少し前に首都機能の移転の話が出ていましたが、あれはどうなったのでしょうか。日本全国見回して一番安全で気候的にもいいのは瀬戸内海沿岸ではないでしょうか。地震は全国どこでも起きますが、瀬戸内沿岸部なら津波はありません。台風も激烈な被害は受けにくく、雪はほとんど降りません。環瀬戸内海に首都機能を分散して配置すれば、どこか一ヶ所が災害にあってもなんとかなります。
環瀬戸内海を首都に!です。
>ある小説家が中世のヴェネツィア共和国を素材にした小説を書くときに
これ、塩野七生さんの『海の都の物語』ではないでしょうか? この小説を読みながら、日本のことを連想したのを思い出しました。私は滅びる過程よりも、勃興していく過程に日本をイメージしました。ヴェネツィアは悪条件の中から勇気と知恵であれだけの国を作り上げたんですね。何も無い、あるのは人だけ、という。それが戦後の日本に重なりました。
今回のことを見ていて、国民のモラルは日本人のいい面がそのまま出ており、政府や東電の行動は悪い面が出ていると思います。で、どちらか一方のみを取り出すことはできない、と私は思います。日本が明治維新や敗戦という国家存亡の危機を乗り越えて何度も復活できたのは、日本の国民性に負うところが多いと思います。言葉は変になりますが、日本人だからこそできたのです。だから、今回もその特質が発揮されることを期待したい。