□◆□…優嵐歳時記(2505)…□◆□
なずな咲く野辺の光を歩きおり 優嵐
ナズナはロゼットで越冬するアブラナ科の冬緑二年生の雑草です。古くから日本にあり、土着の草のように思われますが、分布は人間が活動する領域に限られていることから、農耕文明とともに古い時代に渡来したものと考えられています。
近所の土手には、今、ナズナ、ホトケノザ、オオイヌノフグリがそれぞれ群落を作って咲いています。のんびりのどかな景色です。メディアを離れると、震災のことはどこか遠い夢のように感じられます。多分、メディアが発達するまでは、どれほど悲惨な災害の情報もその地域の外へ出ることはほとんど無かったでしょう。
ベトナム戦争を終結させたのはテレビの力だと言われています。アメリカ国民をはじめ、全世界の人がそのありさまをメディアで視聴し、ショックを受けて戦争反対の声をあげたのです。今、インターネットやそれをベースにしたソーシャルメディアが瞬時に世界をつなぐようになりました。
今回の震災でも世界中の人が日本のために心を痛め、祈り、援助の声をあげてくれました。原発事故の先ゆきはまだ不透明ですし、復興も長い道のりになることは間違いありません。しかし、世界中の人たちのこの心を知ることができたのは、貴重な財産になるのでは、と思います。
<やじろべえ>
国というのは磐石なものだと思っていた
しかしそうではないらしい
国家とは何かはっきりした形のものではなく
あるポイントでバランスをとっている
やじろべえのようなもの
腕の長さと先の錘は刻々と変わる
それをその都度調整し続けていく
うまく調整されているときは
やじろべえの上に乗っていることを誰もが忘れている
このままこの安寧が永遠に続く
そんな幻想を抱く
人生が80年だとしたら
一生の間安寧が続くことなどない
やじろべえが大きく揺れる時
初めてそのことに気づく
あわてるな
やじろべえは必ず立て直せる
私たちの父母も祖父母もそうしてきた
私たちにできないはずはない
なずな咲く野辺の光を歩きおり 優嵐
ナズナはロゼットで越冬するアブラナ科の冬緑二年生の雑草です。古くから日本にあり、土着の草のように思われますが、分布は人間が活動する領域に限られていることから、農耕文明とともに古い時代に渡来したものと考えられています。
近所の土手には、今、ナズナ、ホトケノザ、オオイヌノフグリがそれぞれ群落を作って咲いています。のんびりのどかな景色です。メディアを離れると、震災のことはどこか遠い夢のように感じられます。多分、メディアが発達するまでは、どれほど悲惨な災害の情報もその地域の外へ出ることはほとんど無かったでしょう。
ベトナム戦争を終結させたのはテレビの力だと言われています。アメリカ国民をはじめ、全世界の人がそのありさまをメディアで視聴し、ショックを受けて戦争反対の声をあげたのです。今、インターネットやそれをベースにしたソーシャルメディアが瞬時に世界をつなぐようになりました。
今回の震災でも世界中の人が日本のために心を痛め、祈り、援助の声をあげてくれました。原発事故の先ゆきはまだ不透明ですし、復興も長い道のりになることは間違いありません。しかし、世界中の人たちのこの心を知ることができたのは、貴重な財産になるのでは、と思います。
<やじろべえ>
国というのは磐石なものだと思っていた
しかしそうではないらしい
国家とは何かはっきりした形のものではなく
あるポイントでバランスをとっている
やじろべえのようなもの
腕の長さと先の錘は刻々と変わる
それをその都度調整し続けていく
うまく調整されているときは
やじろべえの上に乗っていることを誰もが忘れている
このままこの安寧が永遠に続く
そんな幻想を抱く
人生が80年だとしたら
一生の間安寧が続くことなどない
やじろべえが大きく揺れる時
初めてそのことに気づく
あわてるな
やじろべえは必ず立て直せる
私たちの父母も祖父母もそうしてきた
私たちにできないはずはない
コメント
コメント一覧 (4)
ナズナがイッパイ咲いていました。
人はセイゼイ数百年前のことしか考えないからねー。 縄文温暖期、その少し前の氷河期ぐらいは考えないとなー。
その間の天変地異、政治・・・考えたら住む所がない・・・。
ヤッパリ、セイゼイ10年先を考えるしかないかなー。
外来種らしいです。イネだって外来種なんですもんね。考えてみれば、人間も外来種です。現生人類の祖先は東アフリカを後にして、世界に拡散していった一握りのグループの子孫です。日本人は北方と南方からここにたどりついて混血した人たちの集合だといいますから。
縄文温暖期は化石燃料なんか使っていなかったのに、今よりはるかに温暖だったといいます。短いスパンでしか考えられないというのは、人間がせいぜい100年しか生きられない生物だからなんでしょうね。
今日は、朝早く家を出て、東京・六本木の「国立新美術館」で開催されている「シュルレアリスム展」を観てきました。
画集でしか観たことがなく、長い間観たいと思っていたデ・キリコの真作を観ることができて幸せでした(題名は、「ギヨーム・アポリネールの予兆的肖像」)。
いつまで続くかわからない原発震災の中にも、こういう美に親しむ時間を取りたいと思います。
<やじろべえ>は、私たちに大きな希望を与えてくれる詩ですね。
秀逸です。
フクヤン
「シュルレアリスム展」楽しまれたようでよかったです。フクヤンさんの美術の趣味は本当に広いですね。こういうときだからこそ、逆に絵や芸術の果たす役割が大きいかもしれません。
震災の地からは物理的にはかなり離れていますが、いろいろと考えたり感じたりすることは多く、それは世界中の人も同じだろう、と思います。つきつめていけば、人はみな繋がっていますから。