□◆□…優嵐歳時記(2527)…□◆□
正面に散る桜見て座りおり 優嵐
桜といってもいろいろあります。園芸品種には二百以上の種類があるようですが、注意してみているとヤマザクラ以外にも野生の桜が周囲にあることに気がつきます。オオシマザクラよりもさらに咲くのが遅いカスミザクラらしい樹を見つけました。
以前からその樹のかたわらを通りながら、樹の肌は桜のようなのにヤマザクラが咲くころになっても全く咲く気配がないので不思議に思っていました。種類が違ったのです。最も遅咲きのもので、四月終りから五月初めにかけて咲くと図鑑にはありました。花は小さく、こじんまりしています。随願寺の庫裏の前には冬中咲いていて今も花をつけている桜があります。正式名称はなんというのかわかりませんが。
<揺り籠>
視界全体を覆うほどの桜の前に座って
桜が花びらを散らし続けるのを見ていた
風というほどの風もないけれど
空気の流れに乗って
ゆらゆらとゆれるように花吹雪が降り注ぐ
それをずっと見ていると
不思議な境地に誘われる
これと似ているのが
竹林の動き
打ち寄せる波
ゆらめく炎
規則的でありながら
機械的な規則性ではなく
ゆるやかにたゆたうように
くり返しくり返し
人の生理的なリズムはこういうもの
自然が持っているリズムがそうなのであり
ヒトも自然の中から生まれたものであれば
それが心地よい揺り籠になる

正面に散る桜見て座りおり 優嵐
桜といってもいろいろあります。園芸品種には二百以上の種類があるようですが、注意してみているとヤマザクラ以外にも野生の桜が周囲にあることに気がつきます。オオシマザクラよりもさらに咲くのが遅いカスミザクラらしい樹を見つけました。
以前からその樹のかたわらを通りながら、樹の肌は桜のようなのにヤマザクラが咲くころになっても全く咲く気配がないので不思議に思っていました。種類が違ったのです。最も遅咲きのもので、四月終りから五月初めにかけて咲くと図鑑にはありました。花は小さく、こじんまりしています。随願寺の庫裏の前には冬中咲いていて今も花をつけている桜があります。正式名称はなんというのかわかりませんが。
<揺り籠>
視界全体を覆うほどの桜の前に座って
桜が花びらを散らし続けるのを見ていた
風というほどの風もないけれど
空気の流れに乗って
ゆらゆらとゆれるように花吹雪が降り注ぐ
それをずっと見ていると
不思議な境地に誘われる
これと似ているのが
竹林の動き
打ち寄せる波
ゆらめく炎
規則的でありながら
機械的な規則性ではなく
ゆるやかにたゆたうように
くり返しくり返し
人の生理的なリズムはこういうもの
自然が持っているリズムがそうなのであり
ヒトも自然の中から生まれたものであれば
それが心地よい揺り籠になる

コメント
コメント一覧 (6)
今朝の川越は曇。
寒いのでジャケットを着ています。
桜には驚くほどの種類があるのですね。
びっくりしました。
冬中咲いている桜など想像もつきません。
<揺り籠>の本質は、マイクル・クライトンの『ジュラシック・パーク』に出てくるイアン・マルカムという数学者がいっているカオス理論に非常に近いです。
人間の心臓も脈打たないで、ポンプのように定常的に血液が流れていると死んでしまうのだそうです。
自然は、規則的でありながら機械的な規則性ではない揺らぎに満ちています。
優嵐さんの詩は、それを見事に表していると思います。
ヤマザクラにも葉が赤いのと緑のと有るねー。
随願寺の庫裏の前の桜シキザクラ、ジュウガツザクラどちらかなー?
イロイロ名前が有るがホントに独立した種なのかなー。 勝手に名前を付けて楽しめばいいのかも?
私もこの桜を見たときはびっくりしました。夏以外は咲くようです。ちらほらと咲いては散り、咲いては散りして、通常の桜のようにわっと咲く感じはありません。
心臓の話、私も聞いたことがあります。心臓は臓器の中では機構がシンプルで人工的に作れそうですが、こういう仕組みを組み込むことは難しいのでしょう。自然の風が涼しく感じられるのもこれと似ています。自然は奥深いですよね。
カスミザクラ、私も知りませんでしたが、咲く時期で調べたらどうやらこれらしい…、と。自然環境の中で交雑が起こりますから、いろいろ図鑑に載っている分類だけでは難しいものも多いでしょう。それでも一応名前を知ると、なんだかお近づきになれたようでうれしいです。
遅咲きの桜というのも、のどかな気分でいいですよね。
通常の桜だとお花見の時期は人が多すぎて疲れます(笑)。
<揺り籠>の詩、いいですね!自然というのは、いろんなことを考えさせてくれます。
>遅咲きの桜というのも、のどかな気分でいいですよね。
同感です。ソメイヨシノは華やかですが、こういうひっそりとした桜を愛でるのも、侘び、寂びの境地でよいのではないかな〜と思いました。
詩のご感想ありがとうございます。自然は深いなあ、と思い、自分の身体も「自然」だよな〜と思ったりします。