□◆□…優嵐歳時記(2532)…□◆□ 

  熊蜂のホバリングしてゆるゆると  優嵐

昼間は暖かくなってきました。増位山の頂に行くとさまざまな蝶、蜂、虻などが飛び交っています。特に蝶は温度と日差しに敏感です。熊蜂は目にもとまらぬ速さで翅を回転させながら丸い身体を運んでいきます。あの体型であのように自在に飛びまわれるというのは、不思議です。

今日は坂井泉水さんの月命日です。今日も、やっぱり『負けないで』です。YouTubeで探すといくらでもあるといっていいくらい動画があります。




『負けないで』と同様のいわゆる「励ましの歌」はいくつもあります。ただ、この楽曲の歌詞は、やはり別格だと思わざるをえません。ラブソングとしての体裁を持っていますが、サビの部分の歌詞「どんなに 離れてても 心は そばにいるわ」というのは、今になってみると特別な意味が加わっているかもしれない、と思います。

「どんなに 離れてても」は単に物理的に離れているだけではなく、たとえばこの世界とあちらの世界という風にわかれても、と解釈することが可能です。どれほど障害があろうとも、たとえ目に見えない世界に行ったとしても「心はそばにいる」という意味です。

先日、元キャンディーズで女優の田中好子さんが亡くなりました。告別式で、彼女が生前に病床で残した最後の肉声が公開されていました。驚いたのは、彼女がすでに瀕死の状態でありながら、自分のことよりも先に今回の震災の犠牲者・被災者の方たちを気遣われていたことでした。

「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは必ず天国で被災された方のお役に立ちたい。それが私の務めだと思います」

テープの声は弱々しいものでしたが、そこには彼女の強い意志、一種の「ノブレス・オブリージュ」とでもいえそうなものが込められていて、感動しました。この世で人々の支持を得て芸能界の第一線で活躍することができた、それを当然のことと彼女は考えず、感謝し、ご恩返しがしたいと思われたのですね。人の心、死を越えてなお生き続ける絆や意志、願い、そういうものを感じました。

「どんなに 離れてても 心は そばにいるわ」というのは、すべての人にあてはまる言葉ではないかと思います。キャンディーズや田中好子さんのファンの方にとって、これからもずっと田中さんはそばにいる存在だし、ZARDのファンの方にとっては坂井泉水さんが同様の存在でしょう。

そして、今回の震災でご家族、恋人、友人、知人など大切な人を亡くされたすべての方にとってもそれは同じではないでしょうか。大切な人は、たとえ目に見えなくても必ずそばにいてくれる、そういう存在になっておられる、そう思います。