□◆□…優嵐歳時記(2549)…□◆□
頂の雨あがりたり夏燕 優嵐
燕は春の季語ですので、夏に入ると「夏燕」といいます。頂で数羽の燕が群れ飛んでいるのに出会いました。里で見かける種類ではなく、イワツバメではないかと思います。金曜日は雨があがっていましたが、景色がぼんやりと霞み、黄砂がまだ続いているようです。
緑は濃さを増しています。フジとシャガは最盛期を越えた印象です。アヤメ科の花が咲いてきました。近所にシャクヤクを販売している畑があります。これから販売のピークのようで、隣を通ると開き始めた花がずらりと並んでいるのが目に入りました。
<一人あること>
ものごとを自分の思い通りに運びたくて
人は力を欲しがる
ところが
この世に力で得られる安寧はない
あなたを苦しめているのは他の誰でもなく
ものごとを思い通りにしたいという
自分の未熟な性質だ
偽りの堂々巡り
十分な力がありさえすれば
自分の人生をコントロールできるはず
そう思って悪戦苦闘する
そんなことはやめてしまおう
力などどこにもない
誰も持ってはいない
それがあるはずだと思っている
幻想から目をさまし
一人静かに立っていよう
頂の雨あがりたり夏燕 優嵐
燕は春の季語ですので、夏に入ると「夏燕」といいます。頂で数羽の燕が群れ飛んでいるのに出会いました。里で見かける種類ではなく、イワツバメではないかと思います。金曜日は雨があがっていましたが、景色がぼんやりと霞み、黄砂がまだ続いているようです。
緑は濃さを増しています。フジとシャガは最盛期を越えた印象です。アヤメ科の花が咲いてきました。近所にシャクヤクを販売している畑があります。これから販売のピークのようで、隣を通ると開き始めた花がずらりと並んでいるのが目に入りました。
<一人あること>
ものごとを自分の思い通りに運びたくて
人は力を欲しがる
ところが
この世に力で得られる安寧はない
あなたを苦しめているのは他の誰でもなく
ものごとを思い通りにしたいという
自分の未熟な性質だ
偽りの堂々巡り
十分な力がありさえすれば
自分の人生をコントロールできるはず
そう思って悪戦苦闘する
そんなことはやめてしまおう
力などどこにもない
誰も持ってはいない
それがあるはずだと思っている
幻想から目をさまし
一人静かに立っていよう
コメント
コメント一覧 (6)
駅などでも糞の被害で巣を取り除く。
イワツバメは外的の入り難い入り口の小さい巣を作る。 それと集団で巣を作り防御する。 アパートのように人間も岩の住居になったしねー。
今朝の那覇は曇。
少し寒いので長袖のシャツとトレパンを着ています。
那覇でも燕が飛んでいるのをよく見かけますが、なぜか巣を見かけません。
沖縄に来て、知っている植物名は、ハイビスカス、ブーゲンビレア、福木、トックリヤシ、ガジュマルくらいなので、図書館で植物図鑑を借りて読み、もっといろいろ知りたいと思っています。
あと、先日から始めた英語の勉強は『Jurassic Park』を辞書を引きつつ読みながら、「ココネ-無料英語学習サイト」というHPでやっています。
ゲーム形式で英語が学べるので楽しいです。
ほんとうに久し振りに英語を勉強しているので、中学・高校で習った英語を必死に思い出しながらやっています。
<一人あること>は、人間について内省的に鋭く考察した詩ですね。
秀逸です。
最後の節、「それ(力)があるはずだと思っている幻想から目をさまし一人静かに立っていよう」は特にいいと思います。
私もそうありたいです。
>ところがねー最近では都会もイワツバメが多い。
街の中にカワセミが進出したようなものですね。近所の川でカワセミを見かけます。ただ、この燕は多分、イワツバメだろうと思います。昨年も見かけ、飛んでいる腰を確認したら、白かったので。今度見たらしっかり確認しようと思います。
動物も人間の生活にあわせて棲息環境を柔軟にあわせていける種は生き残っていけるんですよね。
>アパートのように人間も岩の住居になったしねー。
あはは、確かに。イワサピエンスです。
>なぜか巣を見かけません。
もしかしたら、イワツバメかもしれません。イワツバメは今も海岸や岩壁でコロニーを作って子育てをするようですから。あるいはアマツバメかも。中華料理の高級食材のツバメの巣はこのアマツバメの巣で、アマツバメの唾液腺から分泌したもののみでできているそうです。
英語の勉強、インターネットを活用される方は多いようですね。インターネットはほんとうに便利でありがたい存在です。ゲーム形式で学べるところもいろいろあるようですし。
京都は、5月15日は、葵祭です。葵祭は、去年上賀茂まで追いかけてみましたので、今年は追いかけていません。そのかわり、この季節は京都で一番いい季節ですから、外に出るには最適です。
敢えて、少し日陰を選んで咲くシャガの花は一番好きな花のひとつです。色々とうまく行かなくて悩むけども、それならば、少し暗い静かな場所でも、生きることを諦めはしないという奥ゆかしさが、落ち着いた薄紫の花弁から伝わってくる花です。
もう少しすると、晴れの日はタチアオイが、雨の日はあじさいが、目立つ頃です。
「一人あること」という詩は、男性には大変きつい詩です。男性は、人を蹴落として前に進むこと、人から奪ってでも利益を生み出すことを求められています。それが男性にとっての近代の本質です。女性の専業主婦という生き方はまさしく近代。男性のそういった生き方の反射的効力です。
諦めてしまえばかなり楽なのかなと思いますが、到底諦めることはできません。
葵祭ですか。観光客がどっと押し寄せますね。テレビのニュースでも必ず取り上げられますし。シャガ、いいですよね。あの小ぶりでやや青みがかった白い花の清楚な美しさが好きです。写真より実物の方がずっと素敵な花です。
<一人あること>だけでなく、私の詩のほとんどすべてが自分自身の内側でのつぶやき、です。だから誰かにこうして欲しいとかいうのではなく、自分でこういう考えもあるんじゃないか、とか、こういう見方もあるな、というかすかな気づきが題材になっています。
力は幻想の最たるものかもしれません。そして男性がそれに憧れるのも想像できます。ただし、多分どこまでいっても、虚しさからは逃れられないのじゃないかなあ、と思うのです。特に詩を書くような人ならば。