□◆□…優嵐歳時記(2551)…□◆□ 

  海青し白く輝くヨットの帆   優嵐

アートワークのために大阪へ行っていました。よく晴れた明石海峡をヨットが帆走していました。「ヨット」は夏の季語です。今日は参加者が少なかったのですが、逆に自分自身にとっては気づくことの多い一日でした。

流れで午前中の話の時間が長くなり、午後に、先月から始まっているライフレッスンの<否定→怒り→取引→うつ→受容>という五段階のうち、<取引>と<うつ>について絵を描きました。<取引>というのは、「○○をもらえるなら□□をします」ということです。

<受容>の段階に至るには<取引>の段階から次へ進まなければいけません。<取引>はかなり普遍的に見られる感情かもしれない、と思いました。誰かとの関係において「あなたがナントカをしてくれたら私はナントカをしましょう」というのはすべて<取引>です。

自分自身、かなりこの<取引>に染まっているかも、と気がつきました。どうして世界は、他人はこんな状態なんだ、とつい思いがちですが、そう思っても外の世界は変わりません。それは理屈ではわかるのですが、実際にそれが腑に落ちて、自分を変えることができるまでには、果てしないギャップがあります。

まず、外しか見ていないから自分の中心軸がわからない。だから、視点の定めようもないし、変えようもない。外が悪いと言っている方が楽なので、そう主張し続けます。そしてその主張はいかにももっともな、理屈にあったことだから、さらに自分の内側を見ることを困難にします。

<否定>や<怒り>の段階では、まだ理不尽な感じがありますが、<取引>はかなり巧妙な罠かもしれません。「あの人が○○してくれたら私は□□するのに」という言葉は、<取引>でしょう。自分がそれとそっくり同じ言葉を口にしていることに気がつきました。

午前中からの流れですが、自分自身の問題もこだわりも何もかものルーツが私の場合は自分が育った家庭環境にあります。スピリチュアル的な言い方をすれば「この人生で学ぶべきことの課題がそこにある」ということです。

家庭の不和、経済問題、そういうことに関して「あの人たちが悪くて私は被害者だ」と主張し、父や祖母を非難し続けたのは母でした。確かに父や祖母に問題はありました。しかし、子どもとしての私の立場から見れば、双方に原因があります。自分を省みず、「自分だけが正しくて被害者で、なんて可哀想なアタシ」と愚痴を言い続ける母は苛立ちと腹立ちの対象でしかありませんでした。

自分のことしか見えていなくて、子どもの感情が全くわかっていない。「一番の被害者は子どもである私ではないか。そのことがどうして理解できないのか」、私はそう感じ、「母がひとこと『すまなかった、あなたたちにも迷惑をかけた』とあやまってくれたら…」と思い続けていました。これを正当な要求だと思い込んでいましたが、これは考えてみれば<取引>ですね。「あなたが○○してくれたら私は□□するのに」の文脈にすっぽり当てはまりますから。

これは、母が父や祖母に対して要求していたことをそのまま踏襲しています。母は自分は正当なことを言っている、それをなぜ認めない、被害者は私だ、と主張し続けました。祖母や父が亡くなって何年もたってさえ、そのことを子どもにいい続けてやみませんでした。「そんなことを言い続けて何になるのか、もうすんでしまったことじゃないか」、私は苛立ち、母に「二度とそんな話は聞きたくない」と言いました。

ただ、そう言うならば、自分も自分の子ども時代のすんでしまったことに関してあれこれ反芻して被害者になるのはやめなければいけません。誰のためにでもなく自分のためにです。「可哀想なアタシ」と思っている限り、そこから踏み出す自由がありません。

理屈ではそのことは随分前から解っていました。また「今生の課題」という意味で腑に落ちたのも、すでに2009年に経験しています。今回はそこをさらに一歩先へ進む時期なのです。


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