□◆□…優嵐歳時記(2561)…□◆□
薫風や沖まで青き播磨灘 優嵐
火曜日は雨あがりの晴天が広がり、初夏のこれ以上ないほどのいいお天気でした。そのシーズンに稀にある最高の一日、そう思いながら散歩を楽しみました。薫風とは、青葉を吹く風が緑の香りを運ぶとみた言葉で、初夏の風の爽やかさを示しています。頂で蝶の乱舞を見ていると、そこへイワツバメがさーっと飛んできました。その彼方へ視線をやると淡路島、さらに大鳴門橋も双眼鏡で見えました。
最近、煮物にめんつゆを使って、意外に簡単でおいしくできるのに驚いています。めんつゆだけでほかは何もいりません。水で薄めるくらいのことです。デジタルの新製品がどんどん出ますが、意外に料理や洗濯、掃除といったものの分野でも発想を変えれば便利なものがいくつもあるのかもしれません。
<動き続ける>
断捨離をおこなって
これは一度で済むというものではなく
生きている限り続けるものだと思った
断捨離とは
固定観念を削ぎ落としていくこと
何かが生活の中で一定の場所を占めると
それがそこにあることが
あたり前になってしまう
アタリマエとは
視点が固定してしまうこと
固定してしまったら
あとは腐敗が始まる
薫風や沖まで青き播磨灘 優嵐
火曜日は雨あがりの晴天が広がり、初夏のこれ以上ないほどのいいお天気でした。そのシーズンに稀にある最高の一日、そう思いながら散歩を楽しみました。薫風とは、青葉を吹く風が緑の香りを運ぶとみた言葉で、初夏の風の爽やかさを示しています。頂で蝶の乱舞を見ていると、そこへイワツバメがさーっと飛んできました。その彼方へ視線をやると淡路島、さらに大鳴門橋も双眼鏡で見えました。
最近、煮物にめんつゆを使って、意外に簡単でおいしくできるのに驚いています。めんつゆだけでほかは何もいりません。水で薄めるくらいのことです。デジタルの新製品がどんどん出ますが、意外に料理や洗濯、掃除といったものの分野でも発想を変えれば便利なものがいくつもあるのかもしれません。
<動き続ける>
断捨離をおこなって
これは一度で済むというものではなく
生きている限り続けるものだと思った
断捨離とは
固定観念を削ぎ落としていくこと
何かが生活の中で一定の場所を占めると
それがそこにあることが
あたり前になってしまう
アタリマエとは
視点が固定してしまうこと
固定してしまったら
あとは腐敗が始まる
コメント
コメント一覧 (4)
今日の那覇は晴で少し暑いくらいです。
週末は台風が来るので貴重な晴天です。
ほんとうに爽やかな句ですね。
清清しさが伝わってきます。
アヤメの写真もいいです。
断捨離は、沖縄へ引っ越すときに大々的にやりました。
必要なもの以外は全て売るか捨ててしまいました。
今の埼玉の実家の元いた部屋は、見違えるようにきれいになっています。
しかし、たんすの中に着ない服が残っているので、帰省したとき、これも断捨離しようと思っています。
優嵐さんのおかげで断捨離を知り、ずいぶん生活の贅肉が取れました。
心から感謝します。
固定観念を削ぎ落としていくほうは、まだまだですが、これも頑張りたいと思います。
画家では、ピカソが「断捨離の達人」だったと思います。
姫路も今日はくもりがちです。夜には雨が降り出しそうです。
断捨離というのは、モノを捨てるというだけのことではないんだ、と思いました。暮らし方、考え方、そういうものだろうと気がついたのです。
旅行するとき、最初はあれもこれもと思って持って行きますが、しだいに慣れてくると、荷物が少ない方がラクだし楽しめる、なくても困らない、ことに気づきます。人生行路もいっしょかな、と思います。
ピカソは自分の古い様式から脱皮してどんどん変わっていったのですよね。そうせずにはいられなかったというところにピカソの革新性がありますね。
そうですね。モノの断捨離だけでなく、心の断捨離も継続的に行わなければなりませんね。人間は固定観念の虜になり易いですからね。経験の積み重ねによって得られる知恵も沢山ありますが、経験を積み重ねれば積み重ねるほど固定観念が強まるという二律背反の現象が常に起きます。経験は絶えることなく行われているので、常に固定観念を捨てようという気持ちにならないと、知らぬ間にコインの裏側の弊害が積み上がって行ってしまいますものね。
固定観念というもの、無いとまた困る部分があります。社会生活が困難になりますから。子どもの発想が自由だとか言われますが、あれは、固定観念が固まる前の段階であって、そのままだと困るから、常識やらなんやらで枠にはめるのだと思います。
大人になって、しっかりいったん固めたものを自己の意思で緩めたり引き締めたりできるようになるのが、本当の自由じゃないでしょうか。ここで自分では緩められなくなっていると「固定観念に縛られる」という状態になるのかな、と思っています。
なかなか奥がふかいなあと思う今日このごろです。