□◆□…優嵐歳時記(2562)…□◆□ 

  青条揚羽そら色をきらめかせ   優嵐

アオスジアゲハは黒い翅にブルーの帯が特徴の美しい蝶です。飛ぶ力が強く敏捷に劇的に飛びます。雌雄の姿がよく似ているため、求愛や縄張り争いもまるで集団で空間の輪舞をしているような華麗な姿です。

坂井泉水さんの命日です。今日はZARDの10枚目のオリジナルアルバム『止まっていた時計が今動き出した』(04.1.28)に収録されている『出逢いそして別れ』を取り上げます。あまり目だつ楽曲ではありませんが、中近東風のメロディやアレンジが不思議な雰囲気を持っており、私は好きな一曲です。

出逢いそして別れ



歌のベースはラブソングです。しかし、キャリアの後半になってくると、詞の内容が単なるラブソングを超えた何かを含むようになってきます。この歌も詞の背後にもっと大きな何かが流れている、思索的、哲学的とでも言えるようなものを感じます。

前回の誕生の「日」(5月6日)に『夏を待つセイル(帆)のように』を取り上げ、彼女の言葉の使い方、題名の不思議な言葉の組み合わせについて書きました。歌詞のもうひとつの特徴として、単語や文節の切れとメロディの切れとが一致しないことが珍しくない点があげられます。

よく知られているのが『負けないで』の「どんなに離れてても 心は側にいるわ」です。ここは「どんなに・はなれてても」と切るのが自然です。ところが彼女は「どんなには・なれてても」と歌います。それとよく似ているのがこの楽曲の中での「出逢いそして別れ」の歌い方です。

言葉の流れでは「であい・そして・わかれ」と歌うのが普通です。しかし、「であいそ・してわかれ」と彼女は歌っています。普通ではない歌い方なのに、それが独得の何ともいえない魅力になっているのです。

J-POPでは曲が先にあり、そこへ詞を載せていくというパターンで楽曲を作ることがほとんどだそうです。ZARDの場合もそうだったようです。メロディが先にあり、そこへ詞をあてはめていったから、こういう歌詞になった、と言うこともできるでしょう。しかし、それならなおさら凡庸な作詞家なら言葉をセオリーどおりにはめ込んでいってしまうはずです。

坂井泉水さんのボーカルの特徴のひとつは、リズムから微妙に遅れた歌い方だといわれています。リズムを追いかけて歌うのではなく、いっぱいのところまで間を持たせ、これ以上は外れるというギリギリの線で歌を載せていくというボーカルなのです。そのため歌詞が説得力をもって聴き手に伝わります。さらに、この変則的な言葉の配列が加わるのですから、その効果のほどが知れます。

決して奇を衒ったり、人をぎょっとさせるような手を使ったりはせず、あくまで正攻法で、それでいて誰も真似ができないような歌詞の組み立て、ボーカルワークを行った、やはり凄いアーティストだと思わずにいられません。