□◆□…優嵐歳時記(2565)…□◆□ 【麦】
麦熟るる中へ嵐の近づける 優嵐
麦は初夏の季語です。大麦、小麦、裸麦、燕麦、ライ麦などいずれもイネ科で、日本では主に稲の裏作として栽培されてきました。秋に蒔いた麦は五月には花穂をつけ、やがて黄金色に熟れてきます。まっすぐに立って風に揺れているさまは美しい風景です。
MDFボードが近所で手に入らないと昨日書いた後、それにこだわることはないと気がつきました。チョークアートは基本的に「黒板に絵を描く」アートですから、黒板状のものを作れるのであれば、シナベニヤなどの合板でも問題はないでしょう。
チョークアートがMDFボードを使うのは、ボードの上でオイルパステルを指で直接ブレンドしながら描くためではないか、と思いました。私はチョークアートをやるわけでも、指を使って描きたいわけでもないので、MDFボードにこだわる必要はないのです。
シナベニヤなら、近所のホームセンターにいろいろな種類があります。木管を塞ぐために、とのこを塗る必要がありますが、「水性カラーとのこ」を使えば簡単そうです。MDFボードであっても、白の場合は三度重ね塗りをしましたから、その最初の部分を白のカラーとのこで代用すればいいのです。
<やわらかく>
問題にぶつかったら
必死に押し続けるだけでなく
その手をゆるめて
一歩下がってみるといい
押し続けていた壁のすぐ横に
抜け道があるかもしれない
一途に思い込んで
ひたすらに何かをやる
そういうのは
あるときは素晴らしいことかもしれないが
単に愚かしいだけのこともある
柔軟であること
心も身体も
ものの見方も

麦熟るる中へ嵐の近づける 優嵐
麦は初夏の季語です。大麦、小麦、裸麦、燕麦、ライ麦などいずれもイネ科で、日本では主に稲の裏作として栽培されてきました。秋に蒔いた麦は五月には花穂をつけ、やがて黄金色に熟れてきます。まっすぐに立って風に揺れているさまは美しい風景です。
MDFボードが近所で手に入らないと昨日書いた後、それにこだわることはないと気がつきました。チョークアートは基本的に「黒板に絵を描く」アートですから、黒板状のものを作れるのであれば、シナベニヤなどの合板でも問題はないでしょう。
チョークアートがMDFボードを使うのは、ボードの上でオイルパステルを指で直接ブレンドしながら描くためではないか、と思いました。私はチョークアートをやるわけでも、指を使って描きたいわけでもないので、MDFボードにこだわる必要はないのです。
シナベニヤなら、近所のホームセンターにいろいろな種類があります。木管を塞ぐために、とのこを塗る必要がありますが、「水性カラーとのこ」を使えば簡単そうです。MDFボードであっても、白の場合は三度重ね塗りをしましたから、その最初の部分を白のカラーとのこで代用すればいいのです。
<やわらかく>
問題にぶつかったら
必死に押し続けるだけでなく
その手をゆるめて
一歩下がってみるといい
押し続けていた壁のすぐ横に
抜け道があるかもしれない
一途に思い込んで
ひたすらに何かをやる
そういうのは
あるときは素晴らしいことかもしれないが
単に愚かしいだけのこともある
柔軟であること
心も身体も
ものの見方も

コメント
コメント一覧 (4)
今朝の那覇は晴。
台風が去って日差しタップリの梅雨の中休みが来ました。
絶好の洗濯日和が続きそうです。
それにしても一昨日の台風はすごかったです。
私の住んでいるマンションは大丈夫でしたが、沖縄各地でけが人、停電(交通信号も)、断水が続出しました。
昨日は日曜日だったのでクリスチャンの集会に行きましたが、道すがら根こそぎ倒れている大木を何本も見ました。
沖縄に長く住んでいる兄弟姉妹も「こんなすごい台風は久し振りだ」と言っていました。
集会所は那覇市の隣の豊見城市のマンションの一室にあるのですが、オール電化が災いして、電気も水道もトイレすらも使えませんでした。午後遅くになってやっと復旧しました。
沖縄の台風のすごさを目の当たりにしました。
前置きが長くなりましたが、いい句ですね。
ゴッホの絶筆(「烏の舞う麦畑」)を連想しました。
麦に何種類もあることは、パン工場で働いていたときに知りました。
ライ麦パンの製造が一番大変でした。
絵を描くのにMDFボードにこだわることがないと気付かれたことは、そのまま詩の<やわらかく>につながっていますね。
優嵐さんらしい柔軟な発想です。
私は幼い頃から本ばかり読んでいて、あまり友人もいなかったので頭が固く、柔軟な発想が苦手です。
大学院で化学実験をやって壁にぶち当たり困っていたときも、指導教官の先生に「君、何ごとも工夫だよ」と言われて、ずい分助けてもらいました。
本(理性)からよりも経験から学ぶ方がはるかに多く貴重だと気付くのにずいぶん掛かりました。
詩の最後の節は、特にいいです。
心に刻んでおきます。
でも雑草の方が目立って美しくない。
麦を作ったところには米は作らない。
麦が目的じゃなくて、休耕田の保障金が目当てらしい。
何か間違っているなー。
詩的じゃないこと書いてごめんなさい。
風の凄さをある程度認識されている沖縄の方にさえ、すごい風台風だったとは。昨日はZARDの二十周年ライブのために大阪へ行ました。台風だったので、ちょっと早めに家を出ました。こういうとき、アウトドアで使った服というのは役立ちます。足元はバイク用のショートブーツ(ゴアテックスライナーで、濡れません)、パンツはパタゴニアの特殊素材のもの(撥水性が強く、速乾)、薄手のレインコートもゴアテックスライナーででした。それでも途中で強風のために電車が一時ストップしてひやりとしました。
ライブのことはまたゆっくり書くといたしまして、ゴッホの絶筆は、麦畑の上を鴉が飛んでいる絵でしたね。その後彼は自殺をした、とされているのですが、いろいろ謎もあるみたいで、誰かをかばっているのでは?という話もどこかで読みました。
視点を変えるというのは、もの凄く大事なことだと思います。このごろ特にそれを痛感するようになりました。「陽の下に新しいものはない」というのは聖書の言葉だったと思いますが、つまりこれは、ものは見方次第でどのようにも変わる、組み合わせ方、切り口こそ大事だ、ということをある面では示しているのではないでしょうか。
善悪、正邪すべてコインの裏表だから、表だけではなりたちません。教条主義的な「コウデナケレバナラナイ」というのは悲劇しか生まないし、全然生産的でも、優しくもないということです。そのことがなかなかわからない。それで苦しんでいる人がどれほど多いだろうか、と思います。
農業政策の裏側をあれこれいうと、まあいろいろあるでしょうね。
以前、マウンテンバイクで峠を越えて降りていった先に一面の麦畑が広がり、人影がなく、風が麦の穂を揺らしてさらさらと音をたてているのに出会ったことがあります。
自転車の旅ではいろいろ美しい日本の風景に出会い、あの経験からたくさんのものをもらったなあ、と今思っています。