□◆□…優嵐歳時記(2567)…□◆□
万緑にさざめき残し嵐去る 優嵐
新葉の色がしだいに濃くなり、盛夏の緑色になった状態を「万緑」といいます。日曜日の台風は風台風だったようで、月曜日に増位山へ行ってみると、あちこちで木が倒れていました。ほとんどが枯木でしたが、中には若木もありました。自然歩道には木から叩き落とされたらしい朽ちた枝、もぎとられた青い葉のついた小枝などが散乱して、風の威力を知らされました。
動物はどこかへ行くことができますが、植物はその環境で耐えるしかありません。激しい嵐に耐えられないものは根こそぎにされる。森は穏かに見えますが、それはそれなりに植物たちが必死に生きている場所なんだな、と新たな目で森を見ました。
<自転>
世界を変えようとする人がいる
この世界は困った場所で
なんとかしなければいけないと
そういう人たちは叫ぶ
それは違う
もし世界を変えたければ
あなたが変わることだ
世界が怒りと憎しみで溢れていると
あなたが考えているならば
それはあなたの心が
怒りと憎しみで溢れているからだ
太陽を昇らせようとしてはならない
太陽が昇るのは
地球が自転するからだ
まずあなたが自転しよう
怒りと憎しみから感謝へと
万緑にさざめき残し嵐去る 優嵐
新葉の色がしだいに濃くなり、盛夏の緑色になった状態を「万緑」といいます。日曜日の台風は風台風だったようで、月曜日に増位山へ行ってみると、あちこちで木が倒れていました。ほとんどが枯木でしたが、中には若木もありました。自然歩道には木から叩き落とされたらしい朽ちた枝、もぎとられた青い葉のついた小枝などが散乱して、風の威力を知らされました。
動物はどこかへ行くことができますが、植物はその環境で耐えるしかありません。激しい嵐に耐えられないものは根こそぎにされる。森は穏かに見えますが、それはそれなりに植物たちが必死に生きている場所なんだな、と新たな目で森を見ました。
<自転>
世界を変えようとする人がいる
この世界は困った場所で
なんとかしなければいけないと
そういう人たちは叫ぶ
それは違う
もし世界を変えたければ
あなたが変わることだ
世界が怒りと憎しみで溢れていると
あなたが考えているならば
それはあなたの心が
怒りと憎しみで溢れているからだ
太陽を昇らせようとしてはならない
太陽が昇るのは
地球が自転するからだ
まずあなたが自転しよう
怒りと憎しみから感謝へと
コメント
コメント一覧 (6)
同じ様な意味の歌を歌っていた歌手が居たナー。
『リピート山中』さんだ、誰も知らないだろうなー。 神戸の歌手で鏡平の山小屋で歌を聴いた。 CDを買ったので演奏会の案内は時々来るけど・・・。
今朝の那覇は曇。
やや肌寒いです。
先日の台風は雨よりも風よる被害が大きく、那覇でも太い街路樹があちこちで根こそぎ倒れていましたが、姫路でも相当な被害が出ていたのですね。
日本は天災の多い国ですが、数百年から数千年も生きている大木もあり、これはこれですごいことだと思います。
「万緑」は誰が思い付いたのかわかりませんが夏らしいいい季語ですね。
東山魁夷の盛夏の絵を思い出しました。
青梅の写真も新鮮で素敵です。
<自転>は、優嵐さん得意の哲学的な詩ですね。
「世界平和を望むなら、まずあなた自身が平和であれ」といった人が何人もいますが、それらのことを地球の自転に例えて上手く詠んでいると思います。
秀作です。
何かが起こると、(起こらなくても)、誰かが悪い、と誰かのせいにして怒るのが、多分一番そのときの状況から目を閉ざす簡単な道なんだろうな〜、と最近思います。そして、こういうのに似たことはずーっとずっとずっとイエスやブッダやそのまだずっと昔から、多分言われてきたことなんでしょうけど、人は苦しいことよりラクなことに逃れやすいから、全然変わらず、どれだけ人生を生きても全く先に進めないネズミの踏み車みたいなことを繰り返してきたんだろう、と痛感するのです。輪廻が苦しみにすぎない、というブッダの洞察は、全くもってそのとおりだと思います。
リピート山中さんのオフィシャルサイトがあります。なんか、楽しそうな方ですね。
http://repe.jp/
「万緑」は王安石の漢詩『石榴詩』に「万緑叢中紅一点」の詩句があり、ここが出典です。万緑を季語として定着させたのは、中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」だと言われています。生命力の輝きを象徴するような季語ですね。
<自転>は、先日のZARDのライブから戻る電車の中でふと地球と太陽の関係が心に浮かんできて、それがもとになっています。詩も俳句も私はあまり推敲もしないし、苦吟してひねりだすということもありません。ですから、なんかどこかにふわふわと浮いているものがふとひっかかる、そんな感じで生まれてきます。そのせいか、長いものは詠めませんね。
彼は、「一民の生、天下に重し」といいました。
「一人の人間の命は地球よりも重い」といわれますが、彼は1000年も前にそれをいっているのです。
真実は、ずっと変わらないのです。大昔から賢者といわれる人はそれがわかっていた。でも、80%の人間は、そんなことは間違いだ、とか人が良すぎる、とかいって否定します。残りの19%の人も「わかっちゃいるが、実際にはできない」と苦笑い。王安石はわかっていた人なのだと思います。それにしても北宋というのは、詩人の宝庫ですね。