□◆□…優嵐歳時記(2576)…□◆□
花菖蒲真昼の水の匂いかな 優嵐
日曜日には、宍粟市一宮町の黒尾山(1,025m)に登っていました。兵庫県ではもっとも南に位置する千メートル峰で、晴れていれば頂上からは展望が素晴らしいのですが、曇りがちの日で景色はほとんど見えませんでした。
国道29号線から林道黒尾線に入り、終点近くで車を停めました。先日の台風の影響で林道に杉の若木が倒れており、終点の駐車場までは行けませんでした。終点まで歩く道すがら、道路脇にウツギの一種が咲いており、甘い香りがしていました。
もうひとつ黄色い花がたくさん咲いており、よく目だちました。増位山周辺では見た記憶がありません。TAK.ECHOさん、この花はなんでしょう?→
---ジャケツイバラ(蛇結茨)とのことでした。ありがとうございます。
終点から登山道は三つに分かれており、不動滝コースをとって登り始めました。渓流と滝が楽しめるのですが、今日の山行では思わぬものに難儀しました。山ヒルです。今までいくつも山に登ってきましたが、山ヒルに遭遇したのは初めてです。私はほとんど被害にあいませんでしたが、いっしょに行った友人たちは脚に吸い付かれていました。
分かれていた登山道は虚空蔵菩薩の祠前で合流します。これは自然の岩を祠代わりにしたもので、大岩が庇のように張り出した下に虚空蔵菩薩の祠を安置してあります。ここから自然林の中を登っていくと、頂上です。麓の集落がちらほら見える程度の展望でしたが、山は登るのが楽しいのです。
下山は左股コースをたどりましたが、こちらにも山ヒルがいたのには驚きました。梅雨時だからでしょうか。下山後は「よい温泉」へ行きました。「よい」は与位と書き、地名です。
<絵を描くということ>
絵を描くことは考えることだ
たぶん音楽を奏でることも
スポーツをすることも
基盤には考えることがある
子どもは絵を描くことによって
世界を把握する
描くことで考え理解し
外界に自分を適応させてゆく
適応し成長のある段階に達すれば
絵は最初の目的を達成する
その先
大人が自分なりの絵を描くには
考えることが必要だ
自分とは何か
自分に世界はどのように見えるのか
それを世界に向かってどのように伝えるのか
それが自分の絵を描くということ
花菖蒲真昼の水の匂いかな 優嵐
日曜日には、宍粟市一宮町の黒尾山(1,025m)に登っていました。兵庫県ではもっとも南に位置する千メートル峰で、晴れていれば頂上からは展望が素晴らしいのですが、曇りがちの日で景色はほとんど見えませんでした。
国道29号線から林道黒尾線に入り、終点近くで車を停めました。先日の台風の影響で林道に杉の若木が倒れており、終点の駐車場までは行けませんでした。終点まで歩く道すがら、道路脇にウツギの一種が咲いており、甘い香りがしていました。
もうひとつ黄色い花がたくさん咲いており、よく目だちました。増位山周辺では見た記憶がありません。TAK.ECHOさん、この花はなんでしょう?→
---ジャケツイバラ(蛇結茨)とのことでした。ありがとうございます。
終点から登山道は三つに分かれており、不動滝コースをとって登り始めました。渓流と滝が楽しめるのですが、今日の山行では思わぬものに難儀しました。山ヒルです。今までいくつも山に登ってきましたが、山ヒルに遭遇したのは初めてです。私はほとんど被害にあいませんでしたが、いっしょに行った友人たちは脚に吸い付かれていました。
分かれていた登山道は虚空蔵菩薩の祠前で合流します。これは自然の岩を祠代わりにしたもので、大岩が庇のように張り出した下に虚空蔵菩薩の祠を安置してあります。ここから自然林の中を登っていくと、頂上です。麓の集落がちらほら見える程度の展望でしたが、山は登るのが楽しいのです。
下山は左股コースをたどりましたが、こちらにも山ヒルがいたのには驚きました。梅雨時だからでしょうか。下山後は「よい温泉」へ行きました。「よい」は与位と書き、地名です。
<絵を描くということ>
絵を描くことは考えることだ
たぶん音楽を奏でることも
スポーツをすることも
基盤には考えることがある
子どもは絵を描くことによって
世界を把握する
描くことで考え理解し
外界に自分を適応させてゆく
適応し成長のある段階に達すれば
絵は最初の目的を達成する
その先
大人が自分なりの絵を描くには
考えることが必要だ
自分とは何か
自分に世界はどのように見えるのか
それを世界に向かってどのように伝えるのか
それが自分の絵を描くということ
コメント
コメント一覧 (6)
ノリウツギじゃなくて多分コガクウツギかガクウツギだよ。
黄色い花はジャケツイバラ棘が鋭いので危険な植物だ、絡まってしまうと逃げ出せない。 何回か傷だらけでヤット逃げ出したことがある。
ヒルの多い山が増えて困るね、明神山も最近は近寄らない。 5月から10月までは駄目だよ。
そうですか、ノリウツギではなかったですか。ふむふむ。図鑑を見てもなかなか見分けるのは難しいですね。ジャケツイバラ、確かに刺がたくさんありました。山肌の豪雨で流されたらしい急斜面にもこの黄色い花が点々と咲いており、きれいでした。しかし、あまり人間にはありがたくないもののようですね。
ヤマビル、やっかいですね。明神山もダメですか。もっと南の山がいいのかな。
鹿が増えヤマビルが広がったのは困るね、昔は南アルプスしか居ないものと思っていたが。 明神より南では出会っていません。 だから普段はその辺りをウロウロ。
>葉はかなり違うよ。
そうですね。通は葉ですね。つい目だつ花に注目しますが…。ヤマビルを運ぶのは鹿ですか。鹿の駆除のために狼を放せばいいという人がいますよね。これはいい案だと思います。この辺で真剣に検討していいのじゃないでしょうか。
白い花がウツギですか、清楚な白が可憐で美しいですね♪
「自分に世界はどのように見えるのか それを世界に向かってどのように伝えるのか それが自分の絵を描くということ」という言葉、素敵ですね♪自分と世界の対話かもしれませんね。
この写真の並び方、やってみたらおもしろかったので、使おうと思いました。
大人が絵を描くのは、子どものときとは違う意味合いがあるように最近では思っています。絵は三段階を経て発達していくかも、とも思うのです。
子どもの時(幼児期)は世界を把握して自分の内側へ取り込むために絵を描きます。だから子どもの絵は全く写実的ではなく、一種の記号ですね。独創的でもなく、あれは生得的な記号を世界にあてはめているのだと思います。
そこからの転換が10歳前後で、そのとき、幼児の絵から大人の絵(写実的)な絵への転換がおこります。それがうまくいかないと、「絵が下手」だと思い込んでしまいます。
その次がいつ起こるのか、(もしかしたら起こらない人もいるかもしれませんが)、自分のものの見方を世界に向かって提示する段階でしょう。