□◆□…優嵐歳時記(2577)…□◆□
夜はすでに遠く明けたり月見草 優嵐
月見草というと、ちょっとややこしくなります。歳時記にもマツヨイグサと並んで書かれています。マツヨイグサと名のつく草花は日本に現在十種余りが野生化していますが、すべて帰化植物です。本来のマツヨイグサはチリ原産で、江戸時代の終わりごろに観賞用として日本に入り野生化しています。
他の”マツヨイグサ”はこの時期にいっしょに入り込んだもので、夕方に花を開く性質も同じです。マツヨイグサは一般にツキミソウと呼びならわされ、俳句でも月見草の名前で詠まれるのがほとんどです。太宰治が『富嶽百景』の中で「富士には月見草が似合う」と書いたのはオオマツヨイグサで、竹久夢二の詩に登場する宵待草はメマツヨイグサだと言われています。
さらに複雑なことに、植物学上にはツキミソウという種が存在します。このツキミソウはマツヨイグサとほぼ同時期に渡来したメキシコ原産の一年草あるいは多年草で、透き通るような純白の花をつけます。これは適応力がそれほどなく野生化しないまま一時は姿を消していましたが、最近は本物の月見草として人気が復活しているそうです。
さらにさらに複雑なのは、ヒルザキツキミソウという種が存在するということです。これは他の種と異なり日中に咲いて淡桃色です。野生化もみられるといいます。私が随願寺境内で見た「ツキミソウ」はどうやらこの種だったようです。
<型にはまる>
何かを作るとき制約が無い方が
型にはまらず
思う存分創作できると思いがちだ
ところが実際はそうではない
小説には小説の
映画には映画の
ポップスにはポップスの
創作上の制約というものがある
その型の中で試行錯誤するとき
インスピレーションが湧き
創造の火花が散り
ほんとうにいいものが生まれる
単なる自由は
手がかりのない放埓
混沌とした五里霧中
制約は先を照らす灯台であり
恩恵なのだ
夜はすでに遠く明けたり月見草 優嵐
月見草というと、ちょっとややこしくなります。歳時記にもマツヨイグサと並んで書かれています。マツヨイグサと名のつく草花は日本に現在十種余りが野生化していますが、すべて帰化植物です。本来のマツヨイグサはチリ原産で、江戸時代の終わりごろに観賞用として日本に入り野生化しています。
他の”マツヨイグサ”はこの時期にいっしょに入り込んだもので、夕方に花を開く性質も同じです。マツヨイグサは一般にツキミソウと呼びならわされ、俳句でも月見草の名前で詠まれるのがほとんどです。太宰治が『富嶽百景』の中で「富士には月見草が似合う」と書いたのはオオマツヨイグサで、竹久夢二の詩に登場する宵待草はメマツヨイグサだと言われています。
さらに複雑なことに、植物学上にはツキミソウという種が存在します。このツキミソウはマツヨイグサとほぼ同時期に渡来したメキシコ原産の一年草あるいは多年草で、透き通るような純白の花をつけます。これは適応力がそれほどなく野生化しないまま一時は姿を消していましたが、最近は本物の月見草として人気が復活しているそうです。
さらにさらに複雑なのは、ヒルザキツキミソウという種が存在するということです。これは他の種と異なり日中に咲いて淡桃色です。野生化もみられるといいます。私が随願寺境内で見た「ツキミソウ」はどうやらこの種だったようです。
<型にはまる>
何かを作るとき制約が無い方が
型にはまらず
思う存分創作できると思いがちだ
ところが実際はそうではない
小説には小説の
映画には映画の
ポップスにはポップスの
創作上の制約というものがある
その型の中で試行錯誤するとき
インスピレーションが湧き
創造の火花が散り
ほんとうにいいものが生まれる
単なる自由は
手がかりのない放埓
混沌とした五里霧中
制約は先を照らす灯台であり
恩恵なのだ
コメント
コメント一覧 (2)
名前は知らなかった。 イロイロ見つけるねー。
絵を描くのは難しいねー。
一昨日は広峰山で大勢(30人?)の素人画家が油絵を描いていた。
写真のような絵の人も多かったが・・・・。
技術の世界は新しい材料、新しい目標が何時も有るから難しくても方向は分かるけどなー。
いろいろありますね、ほんとに。これは歳時記のおかげです。俳句をやらなければ、植物の名をこれほど知ることはなかったでしょう。
絵は、楽しく描けたらいいんだろうな、と思います。何が楽しいかはその人しだいでしょうし…。写実的に描くメソッドがありまして、『脳の右側で描け』(エルテ出版)という本になっています。これはなかなか示唆に富んでいます。
子どもはみんな絵を描きますが、これは成長のために必要なんでしょう。で、ある段階で子どもの世界を離れて大人の絵(写実的)に移行するのですが、それがうまくいかないと、自分は絵が下手だと思い込んでしまい、絵を描くのがキライになってしまう…、そういうパターンが多いような。