□◆□…優嵐歳時記(2617)…□◆□
蟻渡る大き糸瓜の花盛り 優嵐
四日ぶりに増位山へ散歩に行きました。わずか四日ですが、アジサイ類はほぼすべて最盛期を終え、蛇ヶ池ではハスが咲きだしていました。ヘチマは一週間ほど前からアジサイの花壇の前で咲いています。大きな黄色い花を次々とつけ、そこに蟻がきています。
絵を描くようになって身近なものをよく観察するようになり、一日として同じ状態は無いと気がつきました。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という句がありますが、桜に限らず、三日たてばすべては変わっています。ほんのわずかではあっても三日前と同じということは絶対にありません。
小中学校の夏休みが始まります。夏休みとはいいながら、実際には夏はもうすぐ終りです。夏至から一ヶ月が過ぎ、かなり夕暮れが早くなったことに気がつきます。夏休みの半ばには立秋で、お盆を過ぎればあきらかに秋風が立ち始めます。
<描くべきもの>
絵を描くために
どこか遠くへ出かけていく必要は無い
ヴェネツィアやパリやロンドンを
あなたがあえて描く必要があるだろうか
あなたが描くべきものは
あなたが日々接しているものだ
あなたにとってはありふれた日常かもしれない
しかしそれは
違う地域、違う時代に生きる人々にとって
とても新鮮なもの、貴重なものかもしれない
遠くばかりを見るのではなく
自分の足元に目を向けよう
惰性に流された視点を離れて
新しい立場でそれを見よう
蟻渡る大き糸瓜の花盛り 優嵐
四日ぶりに増位山へ散歩に行きました。わずか四日ですが、アジサイ類はほぼすべて最盛期を終え、蛇ヶ池ではハスが咲きだしていました。ヘチマは一週間ほど前からアジサイの花壇の前で咲いています。大きな黄色い花を次々とつけ、そこに蟻がきています。
絵を描くようになって身近なものをよく観察するようになり、一日として同じ状態は無いと気がつきました。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という句がありますが、桜に限らず、三日たてばすべては変わっています。ほんのわずかではあっても三日前と同じということは絶対にありません。
小中学校の夏休みが始まります。夏休みとはいいながら、実際には夏はもうすぐ終りです。夏至から一ヶ月が過ぎ、かなり夕暮れが早くなったことに気がつきます。夏休みの半ばには立秋で、お盆を過ぎればあきらかに秋風が立ち始めます。
<描くべきもの>
絵を描くために
どこか遠くへ出かけていく必要は無い
ヴェネツィアやパリやロンドンを
あなたがあえて描く必要があるだろうか
あなたが描くべきものは
あなたが日々接しているものだ
あなたにとってはありふれた日常かもしれない
しかしそれは
違う地域、違う時代に生きる人々にとって
とても新鮮なもの、貴重なものかもしれない
遠くばかりを見るのではなく
自分の足元に目を向けよう
惰性に流された視点を離れて
新しい立場でそれを見よう
コメント
コメント一覧 (4)
カボチャかなーと。
ウズアジサイも初めて知ったよ。
私も、これなんだろう、と最初は思いました。南瓜だったら、地面に這わせるだろうし、と思い調べたら、ヘチマでした。小学校で育てた記憶があるんですが、花の形なんかろくに見てないですね、子どものころは。
園芸植物はいろいろ新しい品種が出ますね。それが園芸家の方の大きな楽しみなんだと思います。
モネは「全ては変わる、石さえも」と言いましたが、私たちの住む世界は毎日変化し続けています。
自然の中にそれを見出した優嵐さんは素晴らしいです。
沖縄は11月頃まで泳げるのでとうぶん夏です。
7月に入ってからは蝉がうるさいくらいです。
<描くべきもの>はいい詩ですね。
高校時代、先生から「夜明けの近所」や「ありふれた野の草」が立派なモティーフになることを教えられました。
優嵐さんはよく理解しています。
今日もよき日でありますように。
すべては変わりますね。石どころかこの宇宙すら生成流転しているんですから。沖縄の海で泳いでおられますか?確か海が大好きだと以前書かれていたように記憶しています。
自分の身近なものが最もいいモチーフになるのだ、ということは、私も子どもの頃から聞いていました。ただ、子どものころはそれが理解できないんですね。生まれ育った場所なんて、退屈でありふれていて、つまらない、と思い込んでいる。何か素晴らしいことはテレビやメディアの向こう側にある、と思ってしまう。そうじゃない、ということがわかるには成長しないと多分無理なのでしょう。