□◆□…優嵐歳時記(2620)…□◆□
午前八時蝉一斉に鳴き始む 優嵐
蝉の最盛期です。家にいても森に行っても蝉の声に囲まれています。成虫としての蝉は蝉の一生の最晩年の姿で、後は子孫を残すためだけに地上で鳴き飛びしています。土曜日は日差しが戻ってきました。しかし、風にも日差しにもはっきり夏の終りが感じられます。蝉が鳴く頃って晩夏だったんだな、と今更ながらに思います。
前の職場の同僚たちと夕食を食べに行ってきました。たまにこういう席に誘っていただき、昔の人の消息や今の状況を聞いたりするのは楽しいものです。
<毛虫>
森の道で大きな毛虫に会った
落ちている枯枝を登ろうとして
ひっくり返り
また別の枝にとりついて
まごまごしている
魂が蝶だとしたら
地べたにはいつくばり
もぞもぞもごもご
右往左往している
君は地上に生きる人間そのもの
いつか華麗なアゲハになって飛び立つ
だから
今日もまた地上を這って
修行修行
午前八時蝉一斉に鳴き始む 優嵐
蝉の最盛期です。家にいても森に行っても蝉の声に囲まれています。成虫としての蝉は蝉の一生の最晩年の姿で、後は子孫を残すためだけに地上で鳴き飛びしています。土曜日は日差しが戻ってきました。しかし、風にも日差しにもはっきり夏の終りが感じられます。蝉が鳴く頃って晩夏だったんだな、と今更ながらに思います。
前の職場の同僚たちと夕食を食べに行ってきました。たまにこういう席に誘っていただき、昔の人の消息や今の状況を聞いたりするのは楽しいものです。
<毛虫>
森の道で大きな毛虫に会った
落ちている枯枝を登ろうとして
ひっくり返り
また別の枝にとりついて
まごまごしている
魂が蝶だとしたら
地べたにはいつくばり
もぞもぞもごもご
右往左往している
君は地上に生きる人間そのもの
いつか華麗なアゲハになって飛び立つ
だから
今日もまた地上を這って
修行修行
コメント
コメント一覧 (2)
那覇も蝉の声が朝から非常にやかましいです。
それも7月に入ったとたんに、いっせいに鳴き始めました。
蝉の種類はわかりませんが、埼玉の蝉とは明らかに違うことはわかります。
那覇は一年の大半が夏のような気候ですが、それでも虫や花はそれぞれの時間(時期)をしっかり生きています。
<毛虫>はユーモラスな詩ですね。
優嵐さんの生き物に対する優しい眼差しが感じられます。
毛虫を生きている人、蝶を魂に例えるなど上手いと思います。
同じようなことが書かれている『バタフライ−もし地球が蝶になったら』(ノリ・ハドル著)という本を思い出しました。
今日もよき日でありますように。
蝉の声を聞きながら書いています。アブラゼミやニイニイゼミが多いのかな、と思います。セミの鳴く夏というのも日本の夏の特徴ですよね。
セミにしても蝶にしても誰が教えるわけでもないのに飛べます。またなぜあれほど激的な変化が一生のうちに起こるのか、考えてみると不思議です。人間の発想ではとうていあのような変化が起こることは考えられない、と思われませんか?