□◆□…優嵐歳時記(2622)…□◆□
一匹の蟻が引きゆく鳥の羽根 優嵐
森を歩いていたら、目の前の地面をこげ茶色をした野鳥の羽根が動いているのが見えました。近づいてよく見ると、一匹の蟻が羽根の根元にいて引いていくところでした。ここから連想したのが三好達治の「土」という詩です。
蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ
子どもの時これを読んで、ふーんなるほどなあと思い、妙に印象に残りました。野鳥の羽根は……、野鳥の羽根としか言えないですね。空蝉も見ました。梅林の東屋の柱にしがみついていました。毎日何か昨日とは違うものと出会えるのが楽しみです。
<蝉と蜂>
地面でもがくアブラゼミに
スズメバチがとりついていた
盛んに脚を動かして
逃れようとする蝉
蜂はしっかり銜えて離さない
蝉が可哀想とは思わない
ここにひとつの生命の流れが展開している
その流れの中に
私も存在している
一匹の蟻が引きゆく鳥の羽根 優嵐
森を歩いていたら、目の前の地面をこげ茶色をした野鳥の羽根が動いているのが見えました。近づいてよく見ると、一匹の蟻が羽根の根元にいて引いていくところでした。ここから連想したのが三好達治の「土」という詩です。
蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ
子どもの時これを読んで、ふーんなるほどなあと思い、妙に印象に残りました。野鳥の羽根は……、野鳥の羽根としか言えないですね。空蝉も見ました。梅林の東屋の柱にしがみついていました。毎日何か昨日とは違うものと出会えるのが楽しみです。
<蝉と蜂>
地面でもがくアブラゼミに
スズメバチがとりついていた
盛んに脚を動かして
逃れようとする蝉
蜂はしっかり銜えて離さない
蝉が可哀想とは思わない
ここにひとつの生命の流れが展開している
その流れの中に
私も存在している
コメント
コメント一覧 (2)
今日の俳句と詩を読んで、フランスのファーブルを思い出しました。
子供のころ、彼の『昆虫記』が大好きで、夢中になって読んだものですが、その中に残酷ともいえる虫の世界の話が数多く載っていました。
「自然界は、そういう風にできている」ことを学びました。
詩の最後の節、「ここにひとつの生命の流れが展開している その流れの中に 私も存在している」は特にいいと思います。
ともすれば、人間が忘れがちなことを詠んでいます。
今日もよき日でありますように。
自然界の生命の流れというのは、「そういうことになっている」ものなのだと思います。ともすれば、それを見て人間は自分の好き嫌いからアレコレ言いますが、それはとても偏ったものの見方でしょう。食べるものは食べられるものによって支えられています。そして食べたものの命もまた、もっとも小さな存在によって分解され、それらを支え、大きな流れの中に戻ります。
善悪、正邪、好き嫌い、生死、昼夜、そういうものはみんな裏表の関係で、一方のみでは存在し得ない。そういうことが少しずつようやくわかってきたように思います。