□◆□…優嵐歳時記(2625)…□◆□
つかまったところが故郷蝉の穴 優嵐
「蝉の穴」とは蝉が羽化するときに地中から出て残す穴のことです。このまま、這っていき、羽を伸ばすのに十分な場所へ来たらしっかりつかまります。そして、背中が割れ蝉が姿を現します。幼虫時代とは全く違った姿になって、「蝉」としての故郷はそこなんだろうな、と思いました。
久しぶりに非常にはっきりとした夢を見て、さらに夢の中で「これは夢なんだ」と思う経験をしました。比較的日常に近い世界の夢でしたが、目が覚めてから考えると変な世界です。夢の中で、これはどういうことなんだ、と考えて、「そうだ、これは夢なのだ、だから夢から覚めればいいのだ」と思ったとたん、目が覚めました。こういう夢を見るようになったのは、ここ2、3年のことです。
今、一応目覚めてこれが現実だと思っていますが、これは私という意識が体験している無数にある世界の中のひとつなのかもしれない、と思います。肉体があって、これが自分だと思っていますが、実は肉体は衣服のようなもので、眠ると別の衣服に着替えているのかもしれません。目覚めて想起する夢は、この肉体が想像できる範囲のことに翻訳されているのかもしれない、と思います。
<リアル>
リアルというのは
計測したり触れたりできるものではないのかもしれない
自分の身体があって
いろいろなことを感じて
それをリアルだと思っている
しかし本当のリアルは
もっと次元の違うもののような気がする
これがリアルだというのは
この世界の一応の約束事
スポーツのルールのようなもの
そのフィールドを出れば
全く違う世界があって
それが真のリアルにつながっている
つかまったところが故郷蝉の穴 優嵐
「蝉の穴」とは蝉が羽化するときに地中から出て残す穴のことです。このまま、這っていき、羽を伸ばすのに十分な場所へ来たらしっかりつかまります。そして、背中が割れ蝉が姿を現します。幼虫時代とは全く違った姿になって、「蝉」としての故郷はそこなんだろうな、と思いました。
久しぶりに非常にはっきりとした夢を見て、さらに夢の中で「これは夢なんだ」と思う経験をしました。比較的日常に近い世界の夢でしたが、目が覚めてから考えると変な世界です。夢の中で、これはどういうことなんだ、と考えて、「そうだ、これは夢なのだ、だから夢から覚めればいいのだ」と思ったとたん、目が覚めました。こういう夢を見るようになったのは、ここ2、3年のことです。
今、一応目覚めてこれが現実だと思っていますが、これは私という意識が体験している無数にある世界の中のひとつなのかもしれない、と思います。肉体があって、これが自分だと思っていますが、実は肉体は衣服のようなもので、眠ると別の衣服に着替えているのかもしれません。目覚めて想起する夢は、この肉体が想像できる範囲のことに翻訳されているのかもしれない、と思います。
<リアル>
リアルというのは
計測したり触れたりできるものではないのかもしれない
自分の身体があって
いろいろなことを感じて
それをリアルだと思っている
しかし本当のリアルは
もっと次元の違うもののような気がする
これがリアルだというのは
この世界の一応の約束事
スポーツのルールのようなもの
そのフィールドを出れば
全く違う世界があって
それが真のリアルにつながっている
コメント
コメント一覧 (2)
普通の夢も多いですが、悪夢もあります。
今朝は、悪夢を見ました。
優嵐さんの考えは、荘子の哲学のようで非常に興味深いです。
私たちが現実(リアル)と感じるものは、「真の現実」(あるかわかりませんが)のほんの一部なのかもしれません。
悪夢というのは、つらいでしょうね。私は夢そのものはよく見る(よく記憶しているというべきか)方ですが、あまり悪夢の経験はありません。
夢を研究している科学者もいるでしょうが、科学で夢は解明できないのではないか、と思います。客観的なものは脳波や眼球運動くらいで、夢の具体的内容に関しては、完全に主観的な内面の出来事で他人はうかがい知ることができません。
リアルってそもそも何かと考えると、この物理的宇宙にさえ無限大から無限小、宇宙誕生以前からこの先の果てしない未来(時間が続くとしてですが)があります。その中で人間が「リアル」として意識できるのは限られています。その中であれこれ計算したり、予測したりしていますが、それはそもそも「摩擦のない世界」のようなもので、仮説でしかありません。さらにそれを含むもっと大きな世界、となると…、途方もないですね。