□◆□…優嵐歳時記(2684)…□◆□ 

  阿波徳島くっきり見えて秋晴るる   優嵐

土曜日はここ数日のうちで最も空気が澄み晴れ渡った日でした。増位山の頂からは淡路島全体、さらに鳴門海峡を経て徳島県まで見えました。北東には丹波の山なみも見えます。赤とんぼが雲に触れんばかりに飛んでいました。

最近、印象派の画家ベルト・モリゾに興味を持ち、評伝を二冊借りてきました。『ベルト・モリゾ』(坂上桂子)と『黒衣の女ベルト・モリゾ』(ドミニク・ボナ)です。『ベルト・モリゾ』を読みおわり、『黒衣の女』に取り掛かって少し戸惑っています。描かれている彼女の印象が随分違うのです。夫のウジェーヌ・マネ(画家のマネの弟)の人間像もかなり違います。人生のエピソードは同じはずなのに、こんなに印象が違うのはなぜだろうと不思議です。

結局、肖像画と同じで評伝も描かれた人よりも描いた人が前面に出てくるのでしょう。あらゆる伝記やノンフィクションと言われるものもそうだろうと思います。人はその時点の自分以外のものは描けないのかもしれません。ではモリゾを知るにはどうすればいいか、といえばやはり作品を見ることしかない、と思います。そこに彼女の魂が残されているからです。

これはあらゆるアーティストにあてはまることでしょう。自分がその作品から受けた印象を大事にすることです。それは自分自身にとってのそのアーティストであり、世界で唯一無二のものです。そして、他人が何を言おうと、実はどうでもいいことなのです。

IMG_2020<写実>
写真を見て絵を描く場合
写真の「よう」に描こうとしてはならない
それが写実的に描くことではない

過剰な細部にとらわれることなく
重要だと感じるところに焦点を絞る
それが自分の絵を描くということ
それがあなた自身の写実性

機械的な正確さと写実性は違う
機械は自分で選択することができない
簡単なようでいて
決して埋められない差