□◆□…優嵐歳時記(2739)…□◆□
赤き実のそこここにあり冬の森 優嵐
パソコンで文書を書くようになって、簡単な字をいざ手書きしようとしたら忘れているという経験は誰でもあるでしょう。メモなどを手書きして、字を忘れないようにしてはいます。しかし、キーボード入力の快適さに慣れてしまい、もう長い文章を手書きする気にはなれません。字が下手になるわけですね。
最近ではGPSの普及で、どこへ行くにもそれに頼りきり、方向感覚が鈍っていることを痛感する人が増えているそうです。私は車にGPSを取り付けてはいません。携帯電話のそうした機能もほとんど使いません。知らない場所に行く場合はGoogleの地図に道順を入れプリントアウトして持って行くようにしています。普通の道路地図もよく使います。
GPSに頼りすぎて方向感覚や空間把握の能力が衰えつつあるというのは、何か現代人を象徴しているような気もします。手っ取り早いハウツーのようなものに依存し、自分の持っている直観を眠らせているような…。人間が持つ本能的な感覚には、機械には決して真似できない要素があります。そういうものを閉ざしてしまわないよう心がけたいと思っています。
<眠り>
目が覚めたとき
いいアイデアが浮かんでいることが多い
眠っている間
きっと私は私ではないのだ
赤き実のそこここにあり冬の森 優嵐
パソコンで文書を書くようになって、簡単な字をいざ手書きしようとしたら忘れているという経験は誰でもあるでしょう。メモなどを手書きして、字を忘れないようにしてはいます。しかし、キーボード入力の快適さに慣れてしまい、もう長い文章を手書きする気にはなれません。字が下手になるわけですね。
最近ではGPSの普及で、どこへ行くにもそれに頼りきり、方向感覚が鈍っていることを痛感する人が増えているそうです。私は車にGPSを取り付けてはいません。携帯電話のそうした機能もほとんど使いません。知らない場所に行く場合はGoogleの地図に道順を入れプリントアウトして持って行くようにしています。普通の道路地図もよく使います。
GPSに頼りすぎて方向感覚や空間把握の能力が衰えつつあるというのは、何か現代人を象徴しているような気もします。手っ取り早いハウツーのようなものに依存し、自分の持っている直観を眠らせているような…。人間が持つ本能的な感覚には、機械には決して真似できない要素があります。そういうものを閉ざしてしまわないよう心がけたいと思っています。
<眠り>
目が覚めたとき
いいアイデアが浮かんでいることが多い
眠っている間
きっと私は私ではないのだ
コメント
コメント一覧 (2)
どんなに複雑な計算も紙とペンでやっていました。
大学に入ってからも、対数関数や特殊な三角関数などを除いては、電卓を使いませんでした。
これは、意地でも何でもなく、ただ自分の計算能力が衰えるのを恐れたからです。
日本語のほうも、今でも、毎日、日記や手紙を書いて書く能力が落ちないようにしています。
もちろん、わからない言葉や漢字があれば辞書で調べます。
でも、辞書は広辞苑、漢和辞典から英和辞典、和英辞典、英英辞典にいたるまで合計50冊分の辞書が入っているCASIOの小さな電子辞書を使っています。
場所もとりませんし、極めて速く辞書が引けます。ただ電池が切れると使えないのが欠点です。
頭脳でも肉体でも、人間の脳力や能力を衰えさせずに、機械と付き合っていくことがとても大切だと思います。
機械では決して真似できない、勘(甚だしき力)を鋭くする訓練も大切ですね。
骨折した腕を添え木で固定していると筋肉が痩せます。これと同じことが人間のあらゆる能力にあてはまるようです。不要と思えばそこを削っていくとは、実にエコロジーです。
ちょっと前までは自動車はこれほど普及していませんでしたから、ごく普通の人でもびっくりするほどの距離を自転車で移動していますね。その昔はひたすら歩いて移動したわけです。わらじに着物で。旅のときは女性でもあたり前に毎日30kmくらい歩いたようです。
これらの能力は相互に関係しあっているところもある気がします。方向感覚や移動能力というのは、即、生存にかかわってくる能力ですから、衰えさせないようにしたいもの、と思います。
文字に関して、字を忘れるというのは、漢字文化圏だけではないだろうか、と思いました。アルファベットはかな文字と同じですから、まあ忘れないでしょう。スペルを忘れるのでしょうか?こういうことを考えると、文字を書くといっても日本語と西洋語ではかなり脳の使い方が違うだろうということに気づきますね。