□◆□…優嵐歳時記(2802)…□◆□
霜柱ざくざく踏んで心地よき 優嵐
冷え込みました。朝はうっすらと雪が積もっていました。北ではかなり積もっているのかもしれません。ニュースを見ませんからほかの地域の積雪状況は知らないままです。去年の震災ですら、mixiで東京にいる友人のコメントを見てかなり大規模な災害なのだと知り、改めてYouTubeで津波の映像を見て驚愕しました。
こういうことから、どうしても知らなければならないことというのは、今の時代ならなんらかの形で伝わるものだと思いました。逆にマスメディアやソーシャルメディアからの情報をいかに遮断して自分の時間を確保するか、ということの方が重要ではないでしょうか。
肘にサポーターをして調子がよくなったと書きましたが、ひとつ問題が出ました。サポーターを長時間つけていると皮膚がかゆくなります。肘の内側は皮膚がやわらかくでデリケートなので、サポーターでぴちっとしめると刺激が強いのでしょう。
<エディトリアル>
絵を描くということは
何を描くかではなく
何を描かないかである
現実をすべて描くことはできない
現実の中から
描かないものを削ぎ落としていく
そして
自分の絵を編集していく
霜柱ざくざく踏んで心地よき 優嵐
冷え込みました。朝はうっすらと雪が積もっていました。北ではかなり積もっているのかもしれません。ニュースを見ませんからほかの地域の積雪状況は知らないままです。去年の震災ですら、mixiで東京にいる友人のコメントを見てかなり大規模な災害なのだと知り、改めてYouTubeで津波の映像を見て驚愕しました。
こういうことから、どうしても知らなければならないことというのは、今の時代ならなんらかの形で伝わるものだと思いました。逆にマスメディアやソーシャルメディアからの情報をいかに遮断して自分の時間を確保するか、ということの方が重要ではないでしょうか。
肘にサポーターをして調子がよくなったと書きましたが、ひとつ問題が出ました。サポーターを長時間つけていると皮膚がかゆくなります。肘の内側は皮膚がやわらかくでデリケートなので、サポーターでぴちっとしめると刺激が強いのでしょう。
<エディトリアル>
絵を描くということは
何を描くかではなく
何を描かないかである
現実をすべて描くことはできない
現実の中から
描かないものを削ぎ落としていく
そして
自分の絵を編集していく
コメント
コメント一覧 (2)
お久しぶりです。
ですが、いつも絵は拝見させて頂いていますよ。
お話ししたいことや、お伝えしたいことは山ほどあるのですが、その様々な想いや浮ぶ画像を文章にするには、なかなか難しく困っています。あらためて、画像人間だと痛感しもどかしいです。
私の普段の仕事は対面で、会話のやりとりでことばがその場で出てくるので、メール、とくにコメントは難しいのかと感じています。ひとつお伝えしたいなぁ、と思うのは。筆やペンの持ち方を腕の具合がいいように変える(指揮棒のようにつまんで描いたりとか、持つ場所を変えてみるとか・・)、左手で描いてみるとか、初めは思うようになりませんが、身を任せてみると、頂けることがチラホラあります。
あと、そぎ落とす作業は書道のように、何枚も何枚も描いていると、自分の意識や自我が外れ、自然に生まれてきますよ。構図も自ずと見えてくると思います。優嵐さんは俳句や自然との関りで既に体得されているようですから、気張らずに考えずに手だけを動かしてみたらどうでしょう。
今、絵を描く(クレオロールや万年筆を使っての場合)ときに腕は全く問題ありません。筆圧がほとんど必要ありませんから、楽です。というか、この「筆圧をかけない」というのが、今までとは異なる描き方だと気がつきました。オイルパステルはどうしても強く押し付けるような描き方になります。それができなくなっているというのは、そうじゃないやり方が今はいい、ということなんだろう、と思っています。
左手で描いてみるというのはおもしろいですね。フォルメンも左手でやると右手とは違う感じがあります。「身を任せる」そうそう、コントロールしないことから得られるものはいろいろあるような気がします。左手を使って抽象画のようなものを描くのも面白いかもしれません。いろいろやってみたいと思います。