□◆□…優嵐歳時記(2826)…□◆□

   釣り船の影きらきらと春の海   優嵐

日曜日はアートワークに参加するために大阪へ行っていました。週末は冷え込み日曜の朝は加古川、明石あたりでも地表をうっすらと雪が覆っていました。それでもよく晴れて、明石海峡は春の日差しの下で輝いていました。

年が明けてからの三ヶ月はワークの参加者が順番にファシリテーターをやっています。今日はお二人のワークを受けました。最初は「回し絵」というワークでした。円を作って座った参加者がそれぞれ一枚ずつ四つ切の紙に何か描き、それを次々と右隣の人に渡していきます。描く時間はそれぞれ30秒で、来た紙にまた描きこんで隣へ渡すということを繰り返します。30秒ですから、考えたり細やかに描きこんだりはできません。ぱっと思いついたものをささっと描いていきます。自分が最初に描いた紙が戻ってきたら終了です。

それらの紙を前に貼ってワーク全体を振り返ります。同じメンバーが同じときに描いた絵なのですが、全部まるっきり違うというのが面白いところです。メンバーの振り返りをきいていると、同じことをやっているようでもそれぞれそのときに感じていることは違うものだと知らされます。順番に紙がまわってきますから、「前の人の図形が○○だったから、私はこう描いてみました」という、その状況にあわせて描くものを変えていった人がいるのに対し、私はそういう感じ方、描き方は全くしませんでした。

最初にこれを描く、とひらめいたら、あとはそこに何が描いてあろうと自分が最初に決めた自分のパターンをどの絵にも描きこんでいきました。全員の振り返りを聞きながら、これが自分の常日頃の行動パターンなのだと思いました。一言でいうならば「わが道をゆく」です。他人がどうだろうとどうでもいい、まず自分がありきで、人の反応をほとんど見ていません。自分がやりたいことをやりたいようにやる、そういう行動・思考パターンです。それはいいとか悪いとかではなく(弱点であると同時に強みでもあります)、そういう反応パターンを自分が持っているということがあらためてわかりました。

次のワークは陶芸用の粘土を使い、自分の立像を作るというものでした。ハンドボールほどの大きさの粘土で40分ほどで作りましたから、それほどリアルなものではありません。まず円筒形を作り、そこから全体のバランスを考えて四肢をひねり出していくという手順で作っていきました。

ただ、粘土の性質から立像で足をリアルに作るのは難しいと思い、埴輪をイメージして作っていきました。結果的になんだかモアイのような感じのものになりました。粘土は身体全体を使いますから、絵以上に没頭します。また、粘土という素材からおのずと制約を受けます。この「素材が創造物を制約する」というのは新鮮な驚きでした。制約を受けることが不自由かといえば、むしろ逆です。ちょうど俳句が十七音という制約を受けることによって、逆に創作の可能性が広がるように、粘土という素材の制約が違う形の力をくれる場合があるということに気づきました。

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