□◆□…優嵐歳時記(206)…□◆□

    明け方の雨あがりけり獺祭忌   優嵐

「獺祭忌(だっさいき)」は俳人正岡子規の忌日です。俳句には
なぜか忌日を季語にするという伝統があります。近代俳句の革新者
子規がわずか36歳で脊椎カリエスのために亡くなったのが1902年
9月19日です。「子規忌」「糸瓜忌」ともいいます。18日、絶筆
の三句を残して昏睡状態となった子規は、明けて19日の午前1時、
息をひきとりました。

子規は本名を常規(つねのり)といい、獺祭書屋主人・竹の里人・
香雲・地風升・越智処之助などの別名も用いました。子規(ホトトギス
の異名)という雅号も、23歳で喀血したときに「鳴いて血を吐く」
というホトトギスからとったものです。

獺とはカワウソのことで、カワウソは巣に魚を集めて貯蔵する習性が
あります。まるで魚を祭っているようだということで「獺祭」と言
い、転じて「散らかっている様」の意味になりました。「獺祭書屋」
とは書物が散らかった部屋のことで、子規が自らの部屋を謙遜して
呼んだものです。