◆プール
「行水」という季語があります。盥に湯を入れてその中で身体の汗などを洗い流すことです。昔は井戸水や川の水を汲んで薪を焚いて湯を沸かしていたため、毎日入浴することはできませんでした。各家庭に給湯設備が整い、スイッチをひねるといつでもお湯が出てくるという生活があたりまえになったのは、せいぜい1970年以後のことではないか、と思います。
東京オリンピックが開かれたのが1964年。そこに向かって日本が高度経済成長の階段を駆け上がり始めたのが1960年前後です。その後、日本人の生活は劇的に変わったのです。1950年代の生活は1970年代よりも、1930年代に近いと言われます。歳時記を見ても、農作業や生活に関する季語ではもはやぴんとこないものがたくさんあります。
この句の場合も、一種の行水のようなものと考えられますが、「行水」がもはや生活の中から姿を消しているとあっては、句に詠むのも難しいと思いました。幼い姉妹がビニール製のプールで歓声をあげていました。頭上にはパラソルがさしかけてあり、紫外線対策も怠りないのは、イマドキです。
「行水」という季語があります。盥に湯を入れてその中で身体の汗などを洗い流すことです。昔は井戸水や川の水を汲んで薪を焚いて湯を沸かしていたため、毎日入浴することはできませんでした。各家庭に給湯設備が整い、スイッチをひねるといつでもお湯が出てくるという生活があたりまえになったのは、せいぜい1970年以後のことではないか、と思います。
東京オリンピックが開かれたのが1964年。そこに向かって日本が高度経済成長の階段を駆け上がり始めたのが1960年前後です。その後、日本人の生活は劇的に変わったのです。1950年代の生活は1970年代よりも、1930年代に近いと言われます。歳時記を見ても、農作業や生活に関する季語ではもはやぴんとこないものがたくさんあります。
この句の場合も、一種の行水のようなものと考えられますが、「行水」がもはや生活の中から姿を消しているとあっては、句に詠むのも難しいと思いました。幼い姉妹がビニール製のプールで歓声をあげていました。頭上にはパラソルがさしかけてあり、紫外線対策も怠りないのは、イマドキです。
コメント
コメント一覧 (2)
昔はよく見かける光景でした♪屋外の気温も今より低かったですよね。
「行水」という言葉を聞くと、小学生の頃を思い出しますよ。エアコンもなくて扇風機で夏を過ごした時代は、今から考えると奇跡のようです。
玄関の前に水をまく「打ち水」という習慣もありましたものね。
今日の写真も美しいですね♪
私は今もエアコンなしで生活しています(^^)v 日中は南北の窓を開け放てば風が通り抜け、快適です。少々汗をかくことは、苦になりません。むしろ、エアコンの不自然な冷たさが苦手になっています。
都会ではエアコンは必需品でしょう。建物が密集し、コンクリートとアスファルトで固められて、ヒートアイランドになっていますから。さらに人も車も多く、何もかもが過密。電気で冷やせばいいという発想でずっとやってきて、そろそろ冷やさなくてもいいような都市のあり方を考える時期なのかもしれませんね。