◆真夏
昨日はアートワークに参加するために大阪へ行っていました。朝の電車で試合に出かけるらしい中学生の姿を見ました。誰もが手に2Lほどは入りそうなウォータークーラーを持っています。熱中症予防のためには、それぞれが自分の飲み水を持参する必要があるのでしょう。
アートワーク、一枚目は”他の人から「あなたはこうだよね」と言われたことで自分とは違っていると思ったこと”について絵を描きました。こういうことはよくきく話で、「本当の自分はこうだ」みたいなことは歌やドラマの題材になったりするものです。昨日、驚いたことは、基本的な人間の気質のひとつとしてよく言われている「内向的、外向的」ということについて、自分が誤解していたということでした。
自分自身が内向的だと思ったことはこれまでありませんでした。ところが、"内気"と"内向的"を取り違えていた、と昨日初めて気がつきました。私は初対面の人とうちとけて話ができますし、大勢の人の前で話すことも平気です。自己主張もします。これらは外向的な性質と思われがちですし、私もそう思いこんでいました。しかし、これらはそういうこととは関係がありません。
もっと本質的な違いがあります。かいつまんでいうと、外向的な人は人との交わりからエネルギーを得るのに対し、内向的な人は人から離れて自分ひとりになってこそエネルギーをチャージできるということです。私は内向的な人間です。
内向的・外向的ということについてわかりやすい説明がありました。
・「内向的な人に関する10の嘘」Gigazine
・「内向的な人と外向的な人がうまく共存するための方法」Lifehacker

昨日はアートワークに参加するために大阪へ行っていました。朝の電車で試合に出かけるらしい中学生の姿を見ました。誰もが手に2Lほどは入りそうなウォータークーラーを持っています。熱中症予防のためには、それぞれが自分の飲み水を持参する必要があるのでしょう。
アートワーク、一枚目は”他の人から「あなたはこうだよね」と言われたことで自分とは違っていると思ったこと”について絵を描きました。こういうことはよくきく話で、「本当の自分はこうだ」みたいなことは歌やドラマの題材になったりするものです。昨日、驚いたことは、基本的な人間の気質のひとつとしてよく言われている「内向的、外向的」ということについて、自分が誤解していたということでした。
自分自身が内向的だと思ったことはこれまでありませんでした。ところが、"内気"と"内向的"を取り違えていた、と昨日初めて気がつきました。私は初対面の人とうちとけて話ができますし、大勢の人の前で話すことも平気です。自己主張もします。これらは外向的な性質と思われがちですし、私もそう思いこんでいました。しかし、これらはそういうこととは関係がありません。
もっと本質的な違いがあります。かいつまんでいうと、外向的な人は人との交わりからエネルギーを得るのに対し、内向的な人は人から離れて自分ひとりになってこそエネルギーをチャージできるということです。私は内向的な人間です。
内向的・外向的ということについてわかりやすい説明がありました。
・「内向的な人に関する10の嘘」Gigazine
・「内向的な人と外向的な人がうまく共存するための方法」Lifehacker

コメント
コメント一覧 (2)
内向的、外向的という視点もとても大切な事だとは思います
でも、その2極はさほど意味を持ちません
人は、どちらかに偏りがあるものですが、
どちらも持っていない事は、本当にまれです
なので、自分がどういう時に内向的になっているのか、
外向的になっているのかを見ているもう一つの自分の目が必要になりますね
人は完全なる統一体です
それが色んな個人的理由で偏りを作り出している事に気がつくと
見えてくる物が変わってくるのではないでしょうか?
人間がどちらの傾向も持っているというのは確かです。
すべてのものは陰陽のモザイクですから。
「どちらかといえば」という前置きが必要ですね。
また、内向的か外向的かということにいい悪いも無いです。
自分の場合は、自分自身がどちらかといえば外向的だとずっと思っていたのに、実はそうではなかったんだ、と気づいて驚いたというのが今回のことでした。