◆富士薊
増位山のドライブウェイに入ってすぐのところに小さな広場があります。ここにはかつて播磨の蕉風俳諧の道場であった風羅堂がありました。風羅は芭蕉の別号「風羅坊」からとったものです。はじめは随願寺念仏堂裏の太子谷にありましたが、寛政5年(1793)にこの地に移され、明治7年(1874)まで俳諧活動がおこなわれました。
いっしょに蓑塚の碑も建っています。蓑塚は芭蕉ゆかりの蓑と笠を姫路へ持ち帰った井上千山が、それらを随願寺にあずけ遺品の塵を埋めた塚だといわれています。蓑と笠は念仏堂に保管されていますが、蓑塚のもとの場所は不明です。
この広場の入口にフジアザミが咲いています。花は人の拳ほどの大きさがあり、最初に見たときはびっくりしました。キク科アザミ属の多年草で、富士山周辺に多いことからフジアザミと名づけられました。日本固有種です。


増位山のドライブウェイに入ってすぐのところに小さな広場があります。ここにはかつて播磨の蕉風俳諧の道場であった風羅堂がありました。風羅は芭蕉の別号「風羅坊」からとったものです。はじめは随願寺念仏堂裏の太子谷にありましたが、寛政5年(1793)にこの地に移され、明治7年(1874)まで俳諧活動がおこなわれました。
いっしょに蓑塚の碑も建っています。蓑塚は芭蕉ゆかりの蓑と笠を姫路へ持ち帰った井上千山が、それらを随願寺にあずけ遺品の塵を埋めた塚だといわれています。蓑と笠は念仏堂に保管されていますが、蓑塚のもとの場所は不明です。
この広場の入口にフジアザミが咲いています。花は人の拳ほどの大きさがあり、最初に見たときはびっくりしました。キク科アザミ属の多年草で、富士山周辺に多いことからフジアザミと名づけられました。日本固有種です。


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