原爆忌 
原爆忌が雨だったことというのはほとんど記憶にありません。それほどこの日は晴天が多いです。原爆が投下された日の広島もよく晴れていました。エノラゲイ号は目視で投下目標の相生橋をとらえること、との指令を受けていました。

1945年5月当時、原爆投下候補の都市を選定するに当たって、京都と広島が最有力候補、中でも京都が一番の候補だったそうです。しかし、フィリピン総督時代に京都を訪れたことのあるスチムソン陸軍長官が強く反対。

また、戦後に「アメリカと親しい日本」を構築する上で、京都に原爆を投下するのはふさわしくない、との意見も出ました。トルーマン大統領も反対意見だったようです。日本の古都であり、千数百年以上に渡る長い歴史と、多くの価値ある文化財を有する京都を破壊すれば、日本人の大きな反感を買うと考えたのです。

その結果、目標は小倉、広島、新潟となりました。それでもなお、京都が京都盆地に位置しているので、原子爆弾の効果を確かめるには最適である、として投下を強く求める将校、科学者が多くありました。そのため、7月3日、再び京都が候補地になりました。

7月21日、ポツダム会談に随行してドイツにいたスチムソン陸軍長官は、京都を第一目標とする許可を求める電報を受け取ります。しかし、彼はそれを直ちに却下し、京都の除外が決定しました。京都に代わって候補に入ったのは長崎でした。

そして、7月25日、広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市に、8月3日ごろ以降の目視可能な天候の日に、「特殊爆弾」を投下する、との指令が出されました。第一目標は広島、第二目標は小倉でした。小倉は、当日上空が八幡空襲で生じた靄により視界不良だったため、長崎が二番目の被爆都市になったのです。
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