秋深し
昨日は、仕事で赤穂市に行っていました。通常なら自分の車で出かけるところですが、行き先の施設の駐車場が十分でないことからJRで播州赤穂駅まで行き、そこで仲間の車に拾ってもらうことになりました。

播州赤穂というのは正式な駅名です。赤穂市なんてほかに無いと思うのになぜだろうと不思議に思っていましたが、赤穂線が開業した当時、長野県の飯田線に赤穂(あかほ)駅があり、この名前になったそうです。
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赤穂線の電車に乗ったのは初めてでした。朝で下りの電車だったので、空いているだろうと思っていましたが、意外にも電車内には学生らしき若い男女の姿が多く見られました。関西福祉大学が近くにあるのです。

赤穂と言えば赤穂義士、忠臣蔵のふるさとです。駅の改札口を出ると階段で地上に降りるようになっており、その階段の横に義士たちを描いた「誠忠義士伝双六」の大塚オーミ陶業製の陶板画が飾られていました。
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江戸城松乃廊下の刃傷に始まり、義士たちの切腹で終わる赤穂事件の年表も駅の待合室に掲げられています。事件が起きたのは元禄14年3月14日(1701年4月21日)であり、義士たちの切腹は元禄16年2月4日(1703年3月20日)でした。

この2年足らずの間の出来事が『忠臣蔵』としてさまざままに脚色され、事件直後から現代にいたるまであらゆるメディアで人気を博して来ました。赤穂事件で一番得をしたのは芸能関係者であったかもしれません。