優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2004年04月

□◆□…優嵐歳時記(64)…□◆□

    雨の朝さくら蘂降る月曜日   優嵐

カーペンターズに『雨の日と月曜日は』という歌がありました。そう、
なんとなく憂鬱を誘うものです。「ああ、雨かぁ」「ああ、また一週
間仕事かぁ」などという思いを抱きつつ…。姫路はゆうべから雨に
なっています。花吹雪の時期は終わりました。すっかり散り尽くした
桜の下に、いまは桜の紅い蘂(しべ)やがくが散り始めています。

山からも桜色が消え、いつの間にか若葉の色が目立ち始めました。
雨さえも明るく感じる今ごろの季節です。まだ青葉まで行かない、
本当に萌え出たばかりのフレッシュグリーンがまぶしい季節なの
です。いよいよ春は去っていこうとしていますね。

□◆□…優嵐歳時記(63)…□◆□

    余部の鉄橋高く春空へ   優嵐

余部鉄橋は兵庫県香住町にあるJR山陰本線の鉄橋です。オートバイ
で但馬を周ったとき、この鉄橋へも立ち寄りました。地上からの高さ
は41m、ビルの15階に相当します。明治45年(1912年)完成といいます
から、今から1世紀前のものなのです。山陰本線最大の難工事だった
というのもうなづける話です。トレッスル式の鉄橋としては現代も
なお日本一の高さを誇っています。

鉄道の真下を国道178号線が通っており、鉄橋の真下に立つことも
できます。鉄橋のすぐ前は日本海で、直下には聖観音像が立っています。
昭和61年(1986年)12月28日、ここで国鉄最後の大事故が起こりました。
日本海から吹き付ける強い季節風にあおられて、回送中の列車が鉄橋
から転落し、真下にあった蟹加工工場を直撃したのです。

この事故で、列車の車掌と加工工場の従業員あわせて6人が亡くなり
ました。この観音さまはその方たちの霊を慰めるために立てられたの
です。この日は穏やかで風もなく、明るい春の空に向かって鉄橋が聳え
立っていました。

□◆□…優嵐歳時記(62)…□◆□

    青柳は風の姿を見せており   優嵐

先日、但馬海岸をオートバイで走ったあと、城崎温泉に立ち寄り
ました。温泉街の中心部に入ると、突如として浴衣の人々の群が
あふれ出します。タオルを入れた「湯かご」を手に昼夜を問わず、
浴衣姿で散策できるのが、ここの温泉街のよさでしょう。

歴史の古い温泉街の中央を大谿川が流れ、風情のある石橋が何本
もかかっています。柳並木が川の両岸に沿って続き、芽吹いた
ヤナギの淡い緑が風に揺れていました。この瑞々しい柳を「青柳」
と呼び、すでに『万葉集』にも詠まれています。青柳の姿を映す
川面には舞い落ちた桜の花びらが、「花筏」(季語)となって流れ
ていました。

□◆□…優嵐歳時記(61)…□◆□

    にぎやかに光の子らよチューリップ   優嵐

チューリップは中央アジア原産で、オランダで品種改良され、日本
には文久年間(1816年〜64年)にもたらされました。当時は鬱金香
(うこんこう)と呼ばれたそうです。栽培が全国的に広がったのは
大正時代で、外来種の中では最も親しまれる花になっています。
「咲いた、咲いた、チューリップの花が」という歌と、あの釣鐘状の
特徴ある花の形で、子どもにもすぐにそれとわかります。

学校花壇に欠かせない花ですし、あの形から、なにやらほのぼのと
したものを感じます。色は赤、白、黄色、黒、斑入り、など実に
さまざま。八重のチューリップもあります。

□◆□…優嵐歳時記(60)…□◆□

    菜の花や陽の輝きをいちめんに   優嵐

職場の近くの田んぼでは、稲をつくる前の期間を利用して菜の花が
いっぱいに植えられています。その前を通ると黄色い花のじゅうたん
がまぶしいほどです。この日曜にはその景観を利用してイベントが
おこなわれます。ここ数年それが続いているのですが、残念ながら
お天気が周期的に変わる春、例年雨になることが多く、気の毒です。
今年はさて、どうなりますか。

アブラナ科の葉菜である芥菜、高菜、白菜、蕪菜、油菜などは古く
から栽培されており、すべて「菜の花」です。これらは、春、黄色
の十字状の四弁花が茎の先に群がって咲きます。以前、白菜を一株
いただいてきたのを忘れて、部屋の隅に置いていたら春先にビニール
袋の中から黄色い花が姿を現し、驚いたことがあります。白菜の中
に眠っていた生命の力強さにちょっと感動でした。

とはいえ、「菜の花」の代表はアブラナです。アブラナは種子を取
って油を搾るため、広い面積に栽培されました。本来の目的の菜の花
畑は最近では少なくなりましたが、その鮮やかな黄色が景観を飾る
のに今でも一役かっているようです。

□◆□…優嵐歳時記(59)…□◆□

    初燕飛ぶきらきらと水の上   優嵐

今年、私がツバメの姿を初めて見たのは四月に入ってからでした。
例年、三月半ばには姿を見るのですが、私がぼんやりしていた
のかもしれません。ツバメはツバメ科の鳥で日本ではツバメ、
コシアカツバメ、イワツバメなど5種が観察されています。

日本には夏鳥として飛来し、人家の軒先で子育てをして、秋に
なると南へ去ります。都会でもよく姿を見る鳥です。顔中口だらけ
にして雛がえさをねだっている姿を一度は目にされたことがある
でしょう。翼がよく発達し、身を翻して飛ぶ姿には、さっそうと
した活気を感じます。

彼らの飛翔を見ていると、翼を持ちあんな風に軽やかに飛べたら、
どんなに楽しいだろうと思ってしまいます。

□◆□…優嵐歳時記(58)…□◆□

    満ちてくる潮に続きし落花かな   優嵐

昨日は、オートバイで鳥取県の浦富海岸から兵庫県の但馬海岸を
走ってきました。

このあたりは山陰海岸国立公園に指定され、奇岩、岩礁が連なり、
また、遠浅の砂浜も広がっています。夏は海水浴、冬は松葉蟹を
目当てに訪れる人で賑わいます。私も双方で何度も訪れました。
この冬、カニスキを食べに行った香住の「梅乃家」の前も走り
ました。冬は曇天の雪景色で今とはかなり趣が違います。

海辺の断崖にはヤマザクラが自生しています。そこから見下ろすと、
澄んだ日本海の色がいっそうはっきり見えます。冬には荒れる海も、
穏やかでした。打ち寄せる波に桜が花びらを散らしていました。

□◆□…優嵐歳時記(57)…□◆□

    ふるさとは枝垂桜の色の中   優嵐

シダレザクラはエドヒガンから生まれた園芸種で、花は一重の淡紅色、
花の形はエドヒガンとほぼ同じですが、枝が長く枝垂れるのが特徴です。
姿が見事なことから、古くから社寺や庭園に植えられ、すでに古今集
でも詠われています。

今日は快晴の兵庫県でした。最近休日になると乗り回している
オートバイを、今日も走らせてきました。戸倉峠を越えて鳥取県に
入り、内陸部を通って但馬海岸に出て城崎周りで姫路まで戻りました。

鳥取県の山間部を走っていたときに、民家の軒先(といってもすでに
樹高はすでに屋根をはるかに越えていますが)に立派なシダレサクラが
咲いているのに会いました。ここも過疎地ですから、若い人はどんどん
都会に出ています。彼らがふるさとの春を思い出すとき、瞼の裏にこの
サクラの姿が蘇ってくるのではないでしょうか。

□◆□…優嵐歳時記(56)…□◆□

    透明に陽を受け令法の芽だちかな   優嵐

リョウブはリョウブ科の落葉高木で、北海道南部から九州まで広く
分布しています。樹皮が薄片としてはがれるのが特徴で、器や床柱
などに使われます。葉は枝先に集まって互生しています。

職場の近くの里山にもあちこちにリョウブが生えています。木の芽
どきの今は、枝先から小さな新芽が顔を出し、陽を受けて柔らかな
若葉が透き通っています。若葉を摘んで、「令法飯」や「令法茶」
として食用に用いることもあるそうです。私は食べたことはありま
せんが。

枝先を一本折り取って、事務所に持って帰りました。水を入れた
コップにさしておくと、一日たってもしっかりしていて、葉は
さらに大きくなっていました。山にいる彼の同朋たちも今きっと
こんな姿なのでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(55)…□◆□

    見渡せば灯火のごとし山桜   優嵐

今の職場の周りは山と田んぼが多く、自然がいっぱい残っています。
今日はとてもいいお天気で、昼休みに散歩をしてきました。すぐ近く
に里山を生かした自然公園があり、そこの遊歩道を辿っていくと、
まわりを見渡せる場所に出ます。ヤマザクラがあちこちに咲いていま
した。日本の野生桜の代表で、関東以西の山地に広く分布しています。
赤茶色を帯びた艶のある若葉と、一重の小ぶりな花で遠目にもそれと
すぐにわかります。

同じ桜でもソメイヨシノとは全く別の品種です。ソメイヨシノは江戸
末期に江戸駒込、染井村の植木商から広まった比較的新しい品種です。
平安時代の和歌に詠まれている桜は、このヤマザクラと考えていいで
しょう。本居宣長は「しきしまの大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」
と詠んでその美しさを称えています。奈良の吉野山や京都嵐山などの
が山桜の名所としてよく知られています。

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