優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2004年05月

□◆□…優嵐歳時記(90)…□◆□


      今日の季語【薔薇】


   客船の姿に薔薇の重なりぬ   優嵐


長崎ではグラバー園を訪ねました。グラバー園は長崎港を望む高台に
あり、国指定重要文化財のグラバー邸を始め、オルト邸、リンガー邸
などの洋館に泉や庭園が配され、開国のころの異国情緒を伝えて
います。特にグラバー邸からの長崎港の景観は素晴らしく、この日も
入港しているダイヤモンド・プリンセス、港の入口に建設中の女神大橋
などを一望することができました。園内は薔薇が見ごろで、オルト邸
では薔薇の香りの演出もされていました。

薔薇はバラ科バラ属の総称です。特にバラの主流をなす四季咲き大輪種
はその姿、香りともに鑑賞花の王座に君臨しています。次々に新種の
改良がおこなわれ、名の有る名花だけでも2万種近くはあります。
晩春から咲き始め、初夏が盛りです。

□◆□…優嵐歳時記(89)…□◆□

   具雑煮を食べる島原薄暑かな   優嵐

具雑煮とは、長崎県島原地方の郷土料理です。島原の乱のとき、一揆
軍の総大将であった天草四郎は信徒たちに餅を兵糧として貯えさせ、
そこへ海産物、野菜などのいろいろな材料を入れて雑煮を炊き、栄養
をとりながら戦った、との言い伝えがあります。島原で有名な「姫松屋」
の具雑煮を食べました。野菜、鶏肉など入り、出汁がよくきいて、
ボリュームたっぷりですが、味は意外にあっさりしています。

「薄暑」は初夏の、少し暑さを感じるくらいになった気候のことを言い
ます。一年中で最も過ごしやすいころです。いいお天気であれば、日中
は汗ばむほどになります。上着も脱いで、服装は軽快になり、気持ちも
軽く、木陰や涼風への思いが動く時期でもあります。

□◆□…優嵐歳時記(88)…□◆□

   青き海静かにありて新樹光   優嵐

夏を迎え、瑞々しい緑の葉をつけた木々のことを「新樹」といいます。
その明るさ、新鮮な輝き、透明感のある美しさにうれしくなってきます。
新しい命の息吹を感じられるからです。「新樹」に映る明るい光を
特に「新樹光」と詠みます。あのいきいきとした緑に心楽しくなった
俳人が、きっと多かったのでしょう。

ここで詠んでいる海は開聞岳の周りを囲む東シナ海です。開聞岳を
一周する道路を走ってきました。麓自然公園の入口横のコンクリート
製トンネルを抜けていけば、その先に島影の無い水平線が広がって
います。

□◆□…優嵐歳時記(87)…□◆□

   若葉に今包まれ我は峠越ゆ   優嵐

オートバイの魅力は、空間に向かって自分の肉体が開かれていること
でしょう。そこが自動車との一番の違いです。ですから、旅する空間
に自分の全身を浸すことができます。潮風も山の空気も、感じる密度
が自動車とは段違いなのです。

九州は想像以上に山深く、峠への道で右も左も、それどころか、最後
には頭上も新緑におおわれて、若葉のトンネルを走るような場所も
ありました。木の種類によって、若葉の色は微妙に異なります。
「柿若葉」「椎若葉」「樫若葉」など、それぞれの木の名前をつけて
その美しさを詠む場合もあります。この句では形、色、濃淡さまざまな
周囲にあふれる若葉すべて、全身を緑に染めるような瑞々しい空気に
包まれる自分自身を詠んでいます。

□◆□…優嵐歳時記(86)…□◆□

   憧れは天指すこころ夏きざす   優嵐

島原や天草というと、やはり隠れキリシタンの歴史は避けて通れま
せん。厳しい弾圧と迫害に耐えて信仰を守り続けた彼らは、江戸末期、
大浦天主堂(当時はフランス寺と呼ばれたとか)へ、フランス人の
プチジャン神父を訪ね、キリスト教信者として名乗りをあげます。
270年近くの空白期間の後の「信徒発見」はキリスト教史上でも初めて
のことでした。

今回、天草では崎津天主堂と大江天主堂、長崎で大浦天主堂と浦上
天主堂を訪ねました。それぞれの建物にさまざまな歴史があります。
外観はもちろん、中に入ると天井が高く、アーチ状になっていて、
視線が天上に向かって引き上げられるのを感じます。外は少し汗ばむ
ほどの陽気でも、聖堂の中は静かでひんやりとした空気に満ちて
いました。

□◆□…優嵐歳時記(85)…□◆□

   パノラマに雲仙迫る夏始め   優嵐

雲仙普賢岳の噴火がおさまってから、今回で二度目の島原行きでした。
前回は自転車でしたので、下から仰ぐだけでしたが、今回はオート
バイで国道57号の途中から仁田峠循環道路に入り、普賢岳山頂直下
まで行くことができました。この道路は観光用の有料道路で反時計
回りの一方通行です。目の前に雲仙普賢岳、平成新山が迫る一方、
目を下界に転じれば、島原半島、島原湾、天草、宇土半島を一望の
下に見渡すことができます。

夏の始まり、下界は新緑の季節ですが、噴火の余韻を残す普賢岳は、
まだ緑に覆われるにはいたっていません。山頂近くのロープウェイ駅
近くではミヤマキリシマの群落がようやく花をつけ始めていました。
ゴールデンウイークが終われば、見ごろを迎えるのでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(84)…□◆□

   夕焼けて発電風車の大き影   優嵐

九州では、特に大隈半島、薩摩半島、島原半島などで、風力発電用の
風車をたくさん見ました。ウインドファームとでもいうのでしょうか。
海の側で、常に一定の風が得られるところが多いのでしょう。ほとんど
は小高い丘の上に立っているのですが、近づいてみるとその大きさに
驚きます。巨大なオブジェという感じです。

夕陽が沈むときに西の空が赤く染まる現象を夕焼けといい、四季を
問わず見られます。万葉のころからすでに詠まれていますが、夏の
季語として定着したのは近代になってからです。夕焼けは高気圧の
接近を物語り、特に夏の夕焼けには壮大なものが多く、印象も強く
なることから、夏の季語として定着したものと思われます。

□◆□…優嵐歳時記(83)…□◆□


      今日の季語【射干】


   国東の塔を囲んで射干咲けり   優嵐


国東半島は周防灘と伊予灘の間に丸く突き出した形の半島で、平安時代
には六郷満山と呼ばれる仏教文化が花開いた土地です。国東塔は独自の
様式を持つ石塔で、半島各地に残っています。

射干(しゃが)は人里近くの山地の日陰に群がって咲くアヤメ科の
常緑多年草です。アヤメの仲間としては小ぶりですが、紫がかった白地
に紫と黄色の斑紋があり、清楚な趣のある花です。

□◆□…優嵐歳時記(82)…□◆□

   茅花流しや球磨川は翡翠色   優嵐

球磨川は九州山地に端を発し、熊本県南部を流れ八代平野から八代海
に注ぎます。最上川、富士川ととも日本三大急流に数えられ、球磨川
下りで有名です。先日、九州をオートバイで走ったとき、雨模様の
球磨川沿いを八代市から人吉市まで走りました。もう下流域であった
のにもかかわらず、水と山の緑が大変美しかったのが印象に残って
います。

初夏のころに吹く、湿気を含んだ雨を伴うことの多い南風を「ながし」
といいます。茅花(つばな)、つまりちがや白いわたをつけるころに
吹く風の意味で「茅花流し(つばなながし)」と詠んでいます。

□◆□…優嵐歳時記(81)…□◆□

   甘藷焼酎つくりし郷は海に向く   優嵐

薩摩半島の西の端は野間半島といいます。東シナ海に面したリアス式
の海岸が広がっています。果ての青い海がとても美しいところです。
ここの笠沙町黒瀬地区の男たちはかつて「黒瀬杜氏」として、九州一円
の甘藷焼酎(いもしょうちゅう)造りを一手に引き受けていました。
明治時代に3人の男たちが焼酎醸造の技術を伝え、耕地が少ないこの
地で一気に広がったのです。

焼酎は日本独特の蒸留酒で、米、麦、粟、黍、トウモロコシ、サツマイモ
などを発酵させて造ります。安くてアルコール度が高く暑気払いによい
ことから、夏の季語になっています。鹿児島の甘藷焼酎、沖縄の泡盛
(米が原料)などが有名です。

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