優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2004年10月

□◆□…優嵐歳時記(247)…□◆□

  柿熟れて熟れるばかりの重さかな     優嵐

柿は日本に約九百種あり、KAKIとして外国に通用する日本を
代表する果物です。柿が詠まれるようになったのは俳諧以来のこと
で、和歌の時代には柿がとりあげられることはありませんでした。
近代以降の俳句では柿が大好物だった正岡子規が「柿食へば鐘が
鳴るなり法隆寺」と詠んでいます。

柿には甘柿と渋柿があり、最近では甘柿はまだしも渋柿はたくさん
なっても採られることもなく、そのままになっているのがほとんど
です。昔なら子どもが取って食べていたという話もききますが、
お菓子になれた子どもは、その辺になっている柿など見向きもしな
くなりました。


□◆□…優嵐歳時記(246)…□◆□

  何か焚く煙の見えて暮の秋    優嵐

秋も終わりが近づいてくると、いいお天気であれば必ずどこかで
何かを焚いている煙が見えます。もちろんゴミは燃やせませんが、
田畑の枯れ草やら台風で折れた小枝やら、そういうもろもろの何
かを燃やしているのだと思います。

枯れ色の濃くなった野山の中を白い煙が立ち昇っていくのが見え
るのは、なかなか趣があっていいものです。自然も人もひとつの
サイクルを終えてほっと一息つくそういう感じでしょうか。

□◆□…優嵐歳時記(245)…□◆□

  秋深し雲昨日より低くなる    優嵐

「秋深し」とは、秋が終わりに近くなったころの季節感をさします。
自然は春の芽吹きから、夏の強烈な輝きを経て、やがて深まる秋の
中で、紅葉の色彩が一気に冬枯れの風景へと変わっていきます。
この晩秋の彩りの変化が日本の山河の特徴であり、喪失感ともいえ
るものが、物思う季節にも通じます。

誰もがみな何かに思いをはせ、読書や思索へと向かわせます。
「秋深し」では「秋深し隣は何をする人ぞ 芭蕉」がいまも名句と
して生き続けています。深まる秋の陰影には春や夏とはまた異なる
魅力があり、自然の風物だけでなく、町ゆく人々の服装がしっとり
落ち着いたものになっていくのもこの季節です。

□◆□…優嵐歳時記(244)…□◆□

  どこまでも空青くある秋思かな    優嵐

「秋思」とは、秋のころの物思いのことです。今日の姫路は一日
中、真っ青な空が広がっていました。大気は透明で色づく野山の
景色も美しく見えます。そんな中にいてふとさまざまなことが
脳裏をよぎります。

「秋思」は「春愁」に対する季語ですが、春の甘美なけだるさに
対し、どこか思索的な雰囲気があります。快晴で何もかも輝くよう
でありながら、それでいてふと心をとらえるこの物悲しさ、これ
は何なのでしょうか。うまく言葉にすることのできない微妙な
陰影。それを託すのに「秋思」はふさわしい季語です。

□◆□…優嵐歳時記(243)…□◆□

  ラケットを持たぬ左手夜寒かな    優嵐

昨日から急に冷え込んでいます。ついこのあいだまで暑い暑いと
いったいたので、このように急激に気温が下がるととまどいます。
今夜はナイターでテニスをしてきました。フリースを着てでかけ
ました。コートに立つと息が白く、グリップを握らない左手の
指先が冷えてくるのがわかりました。

空には十四番目の月がかかっていました。松任谷由美の歌を思い
出したりします。「明日の夜から欠ける満月より、十四番目の月
が好き」と歌うのです。みんなそうだろうな、と思います。

「夜寒」とは冬になるにはまだ少し間があるころ、夜になって肌
寒さを覚えることをいいます。昼夜の気温差が大きく、間近に迫る
冬の訪れを肌で感じます。行きつ戻りつする季節の揺れを感じら
れる味わい深い季語です。

□◆□…優嵐歳時記(242)…□◆□

  風少し出て雲間より後の月    優嵐

朝から夕方まで雨が降り続いていました。晩秋の冷たい雨でした。
被災地は大変だろうなと思いました。こんなお天気でしたから、
お月見も無理だろうと思っていましたら、夕方には雨がやみ、
風が出てきて雲を吹き払ってくれました。先ほど戸外へ出てみたら
中天に少しスリムな十三夜の月がかかっていました。

夜空の雲は一掃され、こうこうと月が輝いています。名月の一ヶ月
後であることから「後の月」という季語が生まれ、最後の月ですから
「名残の月」ともいいます。冬の月にはまた冬ならではの情趣があり
ますが、お月見という気分ではありません。八月十五日の名月と
あわせて「二夜の月」ともいい、名月をみて後の月をみないのは
「片見月」といって忌んだということです。

□◆□…優嵐歳時記(241)…□◆□

  秋風に水輝きて流れけり    優嵐

快晴の姫路でした。兵庫県北部の豊岡では水害の、新潟では地震
の被災者が寒くなりはじめた空の下で不自由な避難生活を送って
いらっしゃることでしょう。こういうときはいいお天気が続いて
くれることを祈りたいですね。

「秋風」は秋の代表的な季語です。秋の訪れを告げる初秋の風、
万物を枯らしていく晩秋の風、いずれも凋落、零落のイメージが
あり、深く詩心を誘います。秋風は色にたとえて「白風」「素風」
ともいい、陰陽五行の金にあたるとして「金風」ともいいます。

秋を「飽き」とかけて、心理的な含みをもたせる解釈をすること
もあり、しみじみとした季語です。しかし、ここで私が詠んだ
秋風には、零落のイメージはありません。軽やかで湿気のない
明るい秋風の下を流れる水の美しさへの感動を詠っています。

□◆□…優嵐歳時記(240)…□◆□

   みな揺れに耳を澄ませる秋の暮    優嵐

台風の次は地震です。被災地のみなさまにはお見舞い申しあげ
ます。地震が襲ったとき、私は東京にいました。ビルの一階に
いましたが、窓のブラインドがゆらゆら揺れていました。部屋
にいた人全員が一瞬言葉をなくして、揺れをおしはかっていま
した。地震が多いといわれる関東でさえ、こんなに長く続くこ
とはあまりない、とのことでした。

「秋の暮」これは季節の終わり(暮秋)をあらわす場合と1日
の終わりをあらわす(秋の夕暮れ)を意味する場合があります。
元々は暮秋の意味として使われていたこの季語ですが、今では
ほとんどの場合「秋の夕暮れ」の意味で用います。

清少納言は「秋は夕暮れ」といいました。秋のしみじみとした
情趣は夕暮れにこそある、というのは日本人のいにしえからの
変わらぬ感覚ですね。

□◆□…優嵐歳時記(239)…□◆□

   野分あと朝日の中でかたづける    優嵐

「野分」は秋の暴風のことで、主に台風のことをさします。
草木を吹き分けるということから野分と名づけられたとか。
平安時代にはすでに用いられていた言葉で、『枕草子』にも
『源氏物語』にも名描写があります。今では台風が一般語と
して定着し、風雅な言葉になっています。

昨日の朝はあちこちに物が散乱していました。中でも職場の
前に飾られていた大輪の菊が建屋ごと吹き飛ばされていたの
は、無残でした。大輪の菊を育てるのは大変手間がかかります。
後は花開くだけになって、思わぬ大嵐。菊を育てていた
グループのみなさんは、黙々と後片付けをなさっていました。

□◆□…優嵐歳時記(238)…□◆□

  教会の鐘遠くより秋の朝    優嵐

台風がいってしまった後の空はからりと晴れ上がっていました。
各地で大きな被害がでたようです。兵庫県でも北部の円山川の
堤防が決壊しました。やはり自然の力の大きさをまざまざと
見せつけられたという印象です。圧倒的な自然の力には、畏怖
の念を覚えます。人間も自然の一部にすぎないということ、
それを思い出します。

台風一過の快晴、気持ちのいい朝でした。すでに朝には少し
肌寒さを覚える日もあります。単に「秋の朝」と詠んだ場合、
やはりよく晴れたさわやかな朝という印象を受けるのがこの
季語です。ものみなくっきりと感じられるクリアな朝なのです。

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