優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年01月

□◆□…優嵐歳時記(337)…□◆□

    寒月のかかるを見つつ東京へ   優嵐

日曜日はISIS編集学校の「感門之盟」に出席するために
日帰りで東京にいってきました。朝、家を出たときはまだ
真っ暗で、姫路駅に停まる最初の「のぞみ」に乗りました。
乗車するときに空を見上げたら、下弦の月がかかって
いました。

東京に着いたのは朝の9時半。新幹線から出ると姫路より
寒く感じました。風のせいだったでしょうか。日付が変わる
ころ姫路に戻ってきた私を迎えてくれたのもまた寒月でした。


□◆□…優嵐歳時記(336)…□◆□

    昇りくる月はおぼろに冬霞   優嵐

昨夜はテニスをしてきました。帰ろうとしていると山の端
から月が昇ってきました。風がなく暖かい夜でしたので、
月がぼんやりとまるで春のようにかすんで見えました。
「霞」も「おぼろ」もそれだけで使えば春の季語になります。

日中も暖かくもう春といっていいような雰囲気が漂って
いました。しかし、日曜は寒くなるとの予報。こうして
暖かい日と寒い日を繰り返しながら少しずつ本格的な春に
なっていきます。

□◆□…優嵐歳時記(335)…□◆□

    それぞれに新しき明日冬銀河   優嵐

私は3年前から、インターネットで繰り広げられる学びの
場「ISIS編集学校」にかかわりを持たせていただいてい
ます。今日、4ヶ月前に始まった教室の終了でした。
大人になるとなかなかものごとの区切りというものは
つけにくいものですが、ここでは確実に「終了」という
ものがあります。

4ヶ月前にはまったくまっさらの状態で出会った人々が
いろいろな言葉をかわしあい、顔は見えないけれど、脳
の中を見せ合うようなやりとりを続けた末の終了の日。
それぞれの胸に感慨深いものがあります。そしてまた、
それぞれの明日へ、新しい出会いへ。素晴らしいことだと
思います。

□◆□…優嵐歳時記(334)…□◆□

    曇天に耕し深く春隣   優嵐

そろそろ光の中に春を感じるころになりました。寒さは
まだこれからですが「光の春」といわれるように春は
日ざしのなかからやってきます。寒く暗い冬の終わりを
待ちわびる気持がこの季語には感じられます。特に北国
ではその思いが強いでしょう。

職場のまわりの田んぼの一部が耕されていました。鈍い
曇り空の光の中でさえ、それは来る春をふと感じさせて
くれるものでした。季節の訪れを敏感に感じ取ること、
それが俳句を詠んでいる楽しさだな、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(333)…□◆□

    オリオンも我も静かに輝ける   優嵐

冬の星座はそれぞれに魅力的ですが、中でもあまり星座に
くわしくない方でもすぐに見つけられるのがオリオン座
でしょう。「三つ星」「参宿」などとも詠まれます。遠い
遠い宇宙の彼方で輝いている星たち、その光ははるか昔に
星を旅立ったものなのです。

私たちは銀河の片隅からこの広大な宇宙をながめているの
です。その星たちも、悠久の過去に私たちとひとつだった
ことがある同じ宇宙の子どもです。いま、ひとりで夜空を
見上げているけれど、すべてはつながっているのだ、と
いうことの意味が少しわかる気がします。

□◆□…優嵐歳時記(332)…□◆□

    日脚伸ぶマナーモードが胸に鳴る   優嵐

「日脚伸ぶ」という季語には、春が向こうから一歩一歩
こちらにやってくるような感じがあります。まだ風は肌を
刺すように冷たく、襟元をかためて歩かなければならない
ような戸外の寒さ。でも、日ざしは着実に明るさを増し、
冬の終わりが近づいていることを教えてくれます。

長らく携帯電話を持っていなかったのですが、最近PHSを
使うようになりました。マナーモードというものも試して、
「おおっ、こんな感じなのか」と楽しい思いをしています。

□◆□…優嵐歳時記(331)…□◆□

    少年の首筋細く冬深む   優嵐

私は保健師をしています。今日、地元の小学校にいって
骨粗しょう症についてのお話をしてきました。温暖な地域
であるため、真冬でも教室にはまったく暖房がありません。
少しの間ならいいのですが、3時間そこにいて話すとなる
とやはりしっかり着込んでいこうということになります。

でも、子どもたちは元気です。半そでで走り回る子の姿を
大勢みかけました。着膨れているのは大人ばかり、です。
「冬深し」とは冬の真っ盛りという感じを表す季語です。
とはいえ、深まればもう春はそこまできています。

□◆□…優嵐歳時記(330)…□◆□

    奥山はすでに隠れて雪催い   優嵐

「雪催い(ゆきもよい)」は重く雲が垂れ込め、今にも雪が
降ってきそうな空模様のことをいいます。姫路ではこのような
天気はあまりありませんが、冬型の気圧配置になると、北の空
が灰色の雲でおおわれ、どんよりとしているのが見えます。

播磨と但馬を分ける山脈のあたりではすでに雪が降っている
のでしょう。ふだんなら遠望できる遠嶺も雲の下に隠れて
います。日中に少し風花が舞う程度の雪ならば、悪くもあり
ませんが、大人になってしまった今となっては、降り積もる雪
は明日の朝の脚に影響しますので、あまり歓迎できません。

□◆□…優嵐歳時記(329)…□◆□

    月光の冴ゆるを浴びて戻りけり   優嵐

深夜、コンビニで買物をして戻っていたら、足元に影ができて
いました。中天に十三夜の月が照っています。「冴ゆる」とは、
寒さがきわまり、透明に澄んだよどみのない冷たさのことを
さします。春は朧月、秋は名月といつも鑑賞の対象であった月
も寒中にあっては、鋭利な刃物で切り取ったような鋭さを見せ
ています。

具体的な寒さというよりも感覚に訴える季語ですから、月の光
だけではなく、声冴ゆる、風冴ゆる、星冴ゆる、という具合に
使います。ここから転じて技の切れ味の鮮やかさという意味に
も用いられます。怜悧な感覚ですね。

□◆□…優嵐歳時記(328)…□◆□

    真っ青な空がある朝厳冬期   優嵐

冬のもっとも厳しい寒さの時期です。北国であればいっそう
その感は強いでしょう。軒にできる太い氷柱、厚くはった氷、
身を切るような風、足元から這い登ってくるような寒さ、
などです。暖房が完備された現代でも戸外に出ればそこには
厳しい寒さがあります。

きびしい暑さとはいっても「厳暑」という言葉はあまりきき
ません。「厳」という文字は、やはり冬の何ものをも寄せ付け
ない峻厳な雰囲気にあっているのでしょう。

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