優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年01月

□◆□…優嵐歳時記(327)…□◆□

    大寒の六甲山上塔光る   優嵐

今日は二十四節季の「大寒」です。一年中で最も寒い時期に
ふさわしく、今日は冷たい季節風が吹き、日ざしが輝く瀬戸内
としてはもっとも冬らしいお天気になりました。今日は仕事
の関係で神戸に行きました。空気が乾燥しているせいか、景色
が非常にクリアに見えました。

六甲山は山腹に住宅街があり、東西南北にトンネルが走り、山
の上にも道路が通り、町があるという開発されつくした山です。
それでも、自然はまだたっぷり残っており、大都市神戸の魅力
をつくり出しています。今日は文字通り「六甲おろし」が町を
吹き抜けていました。

□◆□…優嵐歳時記(326)…□◆□

    握り締む冷たき鉄アレイの重み    優嵐

「冷たし」は冬の寒さが直接身体に触れて感じられることです。
「寒し」が身体全体で感じるものだとしたら、「冷たし」は
部分的な意味合いが強くなります。手足やほほの冷たさ、金属
製品を手に取ったときの冷たさなど、さまざまな冷たさがあり
ます。

鉄アレイというのも、しみじみと冷たいものだと思いました。
手に握るとじわーっと手の温もりが奪い去られていくという
感じです。温度は平衡になろうとするわけですから、鉄アレイ
が手のひらと同じ温度になるまでその冷たさは続くことに
なります。

□◆□…優嵐歳時記(325)…□◆□

    寒茜町赤々と染め上げる   優嵐

「寒茜」とは寒の夕焼けのことです。「夕焼け」はもともと
夏の季語です。日の長い夏の夕焼けは時間が長く、色も強い
のに対して、冬のものは短く淡く、気づかれずにすぎてしまう
ことも多いものです。

先日、山の斜面に作られた新興住宅地に残照があたって茜色
に染まっているのを見ました。窓ガラスがきらきらと輝いて、
ほんのひとときだけでしたが、見事な光景でした。太陽が
織り成す光の芸術は平凡な町さえこれほど美しいものにする
のか、としばし見入っていました。

□◆□…優嵐歳時記(324)…□◆□

     変わるもの変わらぬものも震災忌   優嵐

手元の『日本大歳時記』には「震災忌」は初秋の季語として
掲載されています。関東大震災の「震災忌」です。しかし、
私にとって、いや、おそらく多くの現代の日本人にとって
「震災忌」といえば、1月17日、阪神淡路大震災をイメージ
させると思います。あの日実際にあの揺れを体験した人は
もちろん、誰もが、あのニュースを初めてきいたとき、自分は
何をしていたか、をはっきり思い出せるのではないでしょうか。

10年ひと昔といいます。あのころ、まだインターネットは
それほど普及していませんでした。それなのにいまやインター
ネットぬきの生活は考えられないほどになりました。変わら
ないものと激しく変わっていくもの、10年という歳月は
それをはっきり知るのにちょうどいい長さなのかもしれません。

□◆□…優嵐歳時記(323)…□◆□

     書くことの楽しくなりぬ寒の雨   優嵐

この週末はお天気がいまひとつの姫路でした。いまも戸外では
雨音がしています。寒中に降る雨を「寒の雨」といいます。冬の
雨のうち、特に寒という時期を限定したもので、単に冬の雨より
寒さも冷たさもいっそう厳しい感じがあります。

冷たい雨が降っている日はどこへも出かけず、部屋の中で本を
読んだり書きものをしたりして過ごします。ちょっと疲れたら
お茶をいれたり、みかんをむいたり、コタツでごろ寝をしたり。
そういうなんでもないひとときも実に楽しいものです。

□◆□…優嵐歳時記(322)…□◆□

     人といて人と別れて息白し   優嵐

白い息は寒さの象徴です。暖房の効いた屋内から一歩外へ出た
とたんに吐く息が白くなり、視覚でも寒さを実感します。なぜ
息が白くなるかといえば、温かい体内から出た呼気の中の水分
が、冷えた空気に触れて急速に細かな水滴になるためです。

冬の朝の出勤する人々、耐寒走の高校生など、寒気の中で生き
生きと活動している人の姿を表す季語です。冬の季語には
人の姿を寄せ付けない厳しさを詠うものもありますが、これなど
人の温かい体温を感じ、それもまた冬ならではの趣があります。

□◆□…優嵐歳時記(321)…□◆□

    風花や坂の向こうに時計搭   優嵐

「風花(かざはな)」は晴れているのに、風に乗って雪片が
ひらひらと舞うことです。昨日、一昨日と冷え込んだ姫路では
風花が舞いました。寒いのですが、明るさと軽やかさを感じ
させてくれる季語です。

「かぜはな」「かざばな」と読む場合もあるようですが、
「かざはな」がもっともポピュラーな読み方でしょう。俳句の
場合は意味だけでなく、語感も大事です。KAZAHANAと母音が
「あ」でつらなり、濁音が少ないことが美しいイメージに
つながっているのではないか、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(320)…□◆□

    北風の明るき中を歩きけり   優嵐

暖房の効いた南向きの事務所の中にいると日中でもシャツ一枚
で十分だと思えるほどです。しかし、一歩外にでると、明るい
日ざしがあっても、風は厳寒期の冷たさです。冬型の気圧配置が
強まると、天気図の等高線の間が狭くなり北西の季節風が吹いて
いかにも「冬」らしいお天気になります。

しかし、「北風」は意外にも季語としては比較的新しく、季語と
して定着したのは明治半ば以降のようです。それ以前は「冬風」
といっていたようですし、和歌の時代は「雪」は詠んでも「北風」
は厭われるだけで風雅な思いは呼び起こさなかったのかもしれま
せん。

□◆□…優嵐歳時記(319)…□◆□

    寒中に球追うことのおもしろき    優嵐

12月は記録的な暖かさだったようですが、さすがに年が
明け、寒に入って本格的な冷え込みになっています。今日は
2005年になってから初めてテニスをしてきました。約3週間
ぶりでしたが、やっぱりおもしろいですね。球を追って集中
する一瞬が好きです。それと、相手の取れないようなところ
にうまくボールを運べたとき。

ボールという遊具、大きさを変え性状を変え、これほど年齢
に関係なく人を楽しませてくれる道具も珍しいだろうと思い
ます。夜に入ってしんしんと冷えてきたコートでしたが、
ボールを追って走り回っていると、いつしか汗ばんできます。
久しぶりに身体を動かして、すっきりしました。

□◆□…優嵐歳時記(318)…□◆□

    凍雲に陽の名残見て帰宅する    優嵐

今日の姫路はいいお天気でしたが、気温が低く時おり雪片
が舞い散っていました。「凍雲」とは、冷え込んだ空で
じっと動かず、凍りついたように留まっている雲のこと
です。日没が徐々に遅くなり、冬至のころならすでに
真っ暗だった帰宅時間にも空に明るさが残るようになりま
した。

年末に風邪をひくまでは、バイクで通勤していたのですが、
このところ車に切り替えています。暖かく着込んで乗れば
バイクもなかなかいいものですが、ちょっと億劫になって
いる今日このごろです。

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