優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年02月

□◆□…優嵐歳時記(363)…□◆□

  春遅き山の湯に入り雪見かな   優嵐

この週末、奥飛騨の平湯温泉郷へ行ってきました。里は春
ですが、このあたりはまだまだ雪深く、気温も氷点下です。
お天気がよく、雪山を眺めながらのんびり露天風呂を楽しむ
ことができました。この露天風呂の楽しみ、よくぞ日本に
生まれけり、です。

もちろん途中で味噌煮込みうどんも食べました。温まりますね
あれは。名古屋から車で行ったのですが、あの風景の移り変
わりは感動的ですらありました。日本の風景は実に変化に富ん
でいます。

今日は平湯大滝も見てきました。日本の滝百選に選ばれている
滝で、真冬には完全に凍ってしまいます。ただし、今は、全面
結氷の時期はもう終わり、真ん中あたりはすでに勢いよく水が
落ちていました。


□◆□…優嵐歳時記(362)…□◆□

  白梅や心弾めることのあり   優嵐

梅は、花が少ないこの時期もっともよく詠まれる植物でしょう。
寒さの厳しい中、凛とした姿で咲く梅は古くから日本人に好まれ、
多くの詩歌に詠まれてきました。色は白、紅、淡紅があり、品種
は三百以上あります。菅原道真の飛梅伝説も有名ですね。

職場の裏に小ぶりな白梅があります。最近ようやくぽつぽつと
花をつけはじめました。まだまだ風の冷たい中、咲き始めた梅の
花を見ると、なんだかうれしくなります。

いま、自分が計画して、人生を大きく変えようとしていることが
あります。手の中でその計画を慈しんでいる日々です。ちらほら
咲き始めた梅にそれが重なります。春を運ぶ花ですね。

□◆□…優嵐歳時記(361)…□◆□

  獺の祭読みたき本を並べけり   優嵐

「獺(かわうそ)」はとらえた魚をすぐには食べず、岸や
岩の上に並べておく習性があるそうです。それが供え物に
見立てられ「獺の祭(おそのまつり)」という言葉が生ま
れました。

なぜこれが、季語かといえば、二十四節季をさらに三つに
分けた七十二候というものがあります。「雨水」の最初の
候を「獺祭魚(たつうおをまつる)」といい、そこから季語
になったようです。「獺祭(だっさい)」とも詠みます。

いま、学びたいことがあり、精力的に読書をしています。
読みたい本を獺が魚を並べたように机のまわりに並べている
日々です。正岡子規ばり、---別号を「獺祭書屋主人(だっ
さいしょおくしゅじん)」といいました--と言っておきま
しょうか。

□◆□…優嵐歳時記(360)…□◆□

  つちふるやことに夕暮れやわらかに  優嵐

今日、関東から九州にかけて黄砂が観測されました。
「つちふる」とは、その黄砂を表したもので、漢字では
「霾」と書きます。黄砂は中国大陸の黄土地帯の砂が
風で巻き上げられて日本までやってきたものです。

そのニュースをきいて空を見ると、確かにぼんやりと
しています。これは単なる霞ではないね、と言い合い
ました。「春だなぁ」とは同僚のつぶやきです。
くっきりシャープな冬からほんわりやわらかな春へ
景色も間違いなく変わっています。

□◆□…優嵐歳時記(359)…□◆□

  鯛焼き買うもう咲いている木瓜の花  優嵐

木瓜は中国原産でバラ科の落葉低木です。葉に先立って
濃紅、淡紅、絞り、白など直径3cmほどの五弁の花を
咲かせます。枝に刺があるのが特徴です。秋には大きな
実をつけます。「木瓜の実」は秋の季語になります。

今日は職場の近所の太子堂の縁日でした。たくさん露天
が並び、福引やもち撒きもおこなわれます。太子堂です
から聖徳太子がおまつりしてあり、ふだんは静かな広場
です。境内の一角で小さな木瓜が濃紅の花を咲かせてい
ました。

□◆□…優嵐歳時記(358)…□◆□

  ゆっくりと春寒のなか本を読む  優嵐

ここ数日、気温が低目の日が続いています。暖房のきいた
室内にいて戸外を見ていると、日の光がとても明るいので
暖かそうな印象を受けます。それが一歩外へ出ると、その
予想があるだけに、意外なほどの風の冷たさに驚きます。

このところ読書三昧が続いています。Amazonで中古本を
大量に買って、机の横に積み上げてよみふけっています。
ここの中古本市場はなかなかありがたい存在で、私自身
何冊もの本をこちらで売らせていただきました。

「春寒」は「はるさむ」とも「しゅんかん」とも読みます。
この句では「はるさむ」と読んでください。

□◆□…優嵐歳時記(357)…□◆□

  温奴吹いて食べたる余寒かな  優嵐

土曜日の雨はあがり、今日はいいお天気でした。しかし、風が
冷たく、寒の戻りを感じさせました。「余寒」は「春寒」や
「冴返る」などとほぼ同じ意味の季語です。暦の上で春に
なって以後の寒さのことをさします。それぞれの季語をどう
用いるか、はそのときの語感や皮膚感覚によるといえそう
です。

冷奴は夏らしい豆腐料理です。それを温めたら温奴になります。
豆腐というのは、四季を問わず活躍してくれる食材です。
今日も一日読書ですごしました。ほぼ風邪はおさまりました。
気がつくと二月はあと一週間なのですね。やはり「二月は逃げる」
です。

□◆□…優嵐歳時記(356)…□◆□

  雨になる午後の雨水の金曜日  優嵐

昨日は二十四節季の「雨水(うすい)」でした。雪が雨に変
わる、雪や氷が解けて水になる、という意味から雨水と呼ば
れたようです。しかし実際にはまだ雪の季節です。

昨日の午後に降り始めた雨が今日は一日中降り続いていました。
こたつに入って読みたかった本を次々に読んでいきました。
小説などは読み飛ばすわけにはいきませんが、ハウツーもの、
情報を仕入れたい本などは、必要な箇所だけをざっと読んで、
片付ける、という感じの読書になります。

□◆□…優嵐歳時記(355)…□◆□

  聴診器ことりと置いて冴返る  優嵐

「冴ゆ」というのは、光や音、寒気などが澄みとおることで、
転じて頭脳や技の鮮やかなことにも用いられます。「冴返る」
は、春になっていったん寒さがゆるんだものが、また寒気の
影響で寒さがぶりかえしたさまをさします。春先の皮膚感覚
にぴったりの季語だと思います。

今日は午後から雨になりました。気温が低く、寒の戻りを感
じます。同僚に極端な雨女がいて、彼女が計画をたててどこか
へ出かけると必ず雨になります。明日も天気予報では雨。案
の定、彼女は遠出をする予定があるのだそうです。

□◆□…優嵐歳時記(354)…□◆□

  夕暮れに川輝きて春淡し  優嵐

早春のころを「春早し」「春淡し」とも詠みます。二月いっぱい
くらいの感覚でしょうか。確かに春だけれど、まだ春らしい暖かさ
や花、鳥といった風物は少ない時期です。わずかに梅が早春の
香りを漂わせています。夕暮れが遅くなり、日没のあとも空の
明るさを映した川が光っています。この少しずつ日が長くなって
いく感じが好きです。

私の家のすぐ前には市川が流れており、窓を開けるといつでも
川をながめることができます。鴨や鷺も飛んできますし、晴れた日
には晴れた日の、雨の日には雨の日の風情があっていいものです。

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