優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年04月

□◆□…優嵐歳時記(423)…□◆□

   風をきるペダル軽やか四月尽  優嵐

四月の最後の日、または四月が終わることを「四月尽」
といいます。立夏も近く、春が去っていくという感慨
がにじむ季語です。昼間は窓を開けて過ごしたほど
気温があがりました。午後に自転車で図書館まで行った
ら汗をかきました。

夏物をまだ出していないので、この連休のあいだに
ださなければと思いました。おそらく東北や北海道の
方はまだこれからお花見でしょう。沖縄の方でしたら
そろそろ泳いでいらっしゃるのでしょうか。南北に
長い日本列島、それぞれの季節を思います。


□◆□…優嵐歳時記(422)…□◆□

   夏隣鎮守の森の影の濃く  優嵐

ゴールデンウイークに入りました。今日は気温が高く
裸足ですごしても平気でした。「夏隣(なつどなり)」
は間もなく春が終わり、夏がやってくることを表す
季語です。「夏近し」「夏隣る」などとも詠みます。
行く春を惜しみつつ夏を迎える心構えを感じます。

いつの間にか昼間は木陰が親しく思われるようになり
ました。落葉広葉樹は新しい葉を広げています。ケヤキ
もサクラも若葉の美しい季節です。

□◆□…優嵐歳時記(421)…□◆□

   藤咲いて輪唱流るる校庭に  優嵐

今日は少し暑いくらいの陽気でした。お昼に近所の
図書館まで自転車でいきました。途中に学校があり、
校舎から音楽の時間らしく歌声が聞こえてきます。
目をあげると山はすっかりみずみずしい若葉の色です。
ところどころコバノミツバツツジらしい、淡い紫色
も見えます。

藤棚のフジが咲いていました。フジは日本人に古来
から親しまれた花です。『万葉集』にすでに詠まれて
います。蔓性の落葉高木で、各地に花の名所があり
ます。里山から奥山までどこにでも見られ、ツルは
大変丈夫なため、籠の材料になっていました。

□◆□…優嵐歳時記(420)…□◆□

   公園に陽は燦々と八重桜  優嵐

今日は快晴でした。11時になると仕事が一段落する
ので、自転車であたりをうろうろします。自分が住ん
でいるところでも、いつも通っているところ以外は
あまり知らないものです。ポタリング(自転車での
散歩のこと)の魅力のひとつは、近所の意外な場所
を発見できることでしょうか。

団地の近くに小さな公園を見つけました。平日の昼間
ですから、誰もいません。それでも今が盛りの八重桜
がいっぱい花をつけていました。八重桜は山桜が変化
したもので、桜の中では最も花期が遅く、八重桜が咲き
始めるころには、日差しがかなり強くなっています。

自転車をとめて、しばし八重桜のお花見を楽しみました。

□◆□…優嵐歳時記(419)…□◆□

   春の雷ためしにひとつ鳴ってみる  優嵐

今日のお昼ごろ、雷が鳴りました。この時期の雷は「春
の雷(はるのらい)」または「春雷(しゅんらい)」と
詠みます。音の感じでどう詠むかを決めます。雷は夏に
最もよく見られる現象ですので、「雷」だけですと夏の
季語になります。

空が暗くなって、ぽつぽつと雨が落ちてきたと思ったら、
遠くでゴロゴロと音がしました。夏の強烈な雷と違い
なんだか、遠慮がちな奥ゆかしい鳴り方でした。雷神が
太鼓の試し打ちをしている、そんな印象でした。

□◆□…優嵐歳時記(418)…□◆□

   潮騒のはるかな響き菫咲く  優嵐

先日訪れた丹後半島の経ヶ岬周辺では菫(スミレ)が
いっぱい咲いていました。完全な日向というのではなく、
ちょっと影のあるようなところに群生していました。
スミレの仲間は日本に56種が自生しているのだそうです。

「山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉」この有名な句
に詠まれているスミレがどの種類のスミレか確かめよう
と芭蕉が歩いたのと同じ時期に同じ京都の伏見から大津
に抜ける道を歩いてみた方によれば、咲いていたのは
タチツボスミレでした。

□◆□…優嵐歳時記(417)…□◆□

   満月の光に淡き残花かな  優嵐

昨夜は満月でした。ソメイヨシノはすでに散ってしまい
ましたが、オオシマザクラかと思われる桜がまだ咲き残
っていました。ソメイヨシノが満開のころは三日月でした。
わずかの間に花は移っているなあと思いながら、花を見
あげていました。

桜が散ってしまうと春はもう終わりです。「夏も近づく」
と歌われる八十八夜は5月2日、立夏は5月5日です。すでに
鯉のぼりも空を泳ぎ始めました。行く春を惜しみつつ、
夏の訪れを待ちましょう。

□◆□…優嵐歳時記(416)…□◆□

   陽は高く空の広がり桃の花  優嵐

丹後半島へ行ったとき、桃畑をたくさん見ました。桃と
桜はほぼ同時期に咲いていて、誰もが桜に気をとられ、
桃はそれほど注目されることはないようです。しかし、
「桃色」というその色そのままに、素朴で暖かな雰囲気
を持っています。

今年は4月11日が旧暦の3月3日にあたりました。新暦の
3月3日は、まだまだ寒さが厳しく、桃には早すぎます。
女の子のお祭りである「桃の節句」という柔らかな響き
には旧暦の3月3日の方がふさわしいように思えます。

単に「桃」とだけ詠みますと、果実を指し、秋の季語に
なります。花の場合は「桃の花」「桃咲く」などと詠み
ます。

□◆□…優嵐歳時記(415)…□◆□

   春の田をローカル列車走り来る  優嵐

まだ苗が植えられていない田を「春田」といいます。姫路市
は48万人の人口がありますが、私が住んでいるあたりはまだ
まだ田んぼがたくさん残っています。近くには播磨と但馬を
結ぶJR播但線が走っています。二両編成のローカル単線です。

播但線は生野銀山で採れる銀を飾磨港まで積み出す目的で
作られました。今では銀山はずっと前に閉山になり、沿線の
人々の通勤通学の足になっています。阪神大震災のときは、
山陰本線経由で京都にぬける貴重な鉄道として大きな役割
を果たしました。

□◆□…優嵐歳時記(414)…□◆□

   穏やかに寄せて青々春の海  優嵐

春の海といえば、「春の海ひねもすのたりのたりかな」
という蕪村の句が思い浮かびます。春の海のゆったり
のんびりしたさまにぴったりの句ですね。先日丹後半島へ
行ってきましたが、冬は荒れることの多い日本海も、春の
日ざしの中で明るく静かでした。

海を見ると、気持が広やかになります。波の音もいいもの
です。波の音や焚火はいくら聞いていても見ていても飽き
ないのは、微妙な「ゆらぎ」があり、それが人間の心に
不思議な安らぎを与えるからなのだそうです。

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