優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年08月

□◆□…優嵐歳時記(523)…□◆□

   洗い髪そのまま仰ぐ盆の月  優嵐

今日は旧暦七月十五日、満月です。この夜の月を「盆の月」
といいます。昼間は残暑が厳しいですが、夜になると、
さすがにそれもおさまり、初秋の夜気の中で仰ぐ月です。
虫の音も聞こえ始めています。

お風呂あがりに濡れた髪のまま月を眺めていても、涼むの
にはちょうどいい時期です。盂蘭盆会の前後に昇る満月
ですから、亡き人への思いもこの季語には含まれている
ものと思います。

□◆□…優嵐歳時記(522)…□◆□

   赤とんぼ墓参の道を群れて飛ぶ  優嵐

お盆にお墓参りに行き、田んぼの中を歩いて戻る道すがら、
私たちのまわりをたくさんの赤とんぼが群をなして飛んで
いました。赤とんぼの正式名称はアキアカネです。赤いの
は普通成熟した雄だけで、未熟な雄や雌は黄褐色をしてい
ます。

そろそろ頭を垂れ始めた稲穂の上をつつーっと赤とんぼ
が飛び交うさまを見ていると、しみじみと秋を感じます。
開け放った縁側から家の中を吹きすぎていく風も涼しく、
日差しの傾きも随分秋らしくなり、「やっぱりお盆やねぇ」
と言い合っていました。

□◆□…優嵐歳時記(521)…□◆□

   曾祖母のことなど聞くも盆なれば  優嵐

お盆は母方の親族の集まりにいってきました。いっしょに
お墓参りをしたのですが、その前後に叔父や叔母たちから
曾祖母、さらにその先の話などをききました。そこにいた
従姉妹の子どもからすれば六代遡るご先祖のお話で、単純に
計算すれば六代前の先祖となれば32人の男女がいることに
なります。

時間の流れの中での人の人生というものや、新しい縁と
消えていく縁、そういうものに思いをはせました。新しい
人々が現れては古い人々が去っていくという歴史の流れ
が身近な親族の中にもあるのだ、と当たり前のことながら、
お盆ならではの実感をもちました。

□◆□…優嵐歳時記(520)…□◆□

   秋の蚊といえど容赦はせぬものを  優嵐

私の部屋はアパートの5階にありますので、めったに蚊は
入ってきませんが、それでもときどき刺されることがあり
ます。単に「蚊」だけですと、夏の季語になります。
容赦しないのは蚊もですが、それをみつけてぴしゃりと
やるこちらも同様です。

刺すのは雌だけで、産卵のためです。血がかたまらないよう
に先に入れる液がかゆみをもたらすそうです。産卵のため
とはいえ、人に叩き潰されるような危険を冒してまでも
吸血にこなければならないとは因果なことよ、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(519)…□◆□

   えのころやタイムカードも遠くなり  優嵐

秋になるとどこの道端にでも犬の尻尾のような穂をつけた
草が群れています。エノコログサはイネ科の一年草で、
別名「猫じゃらし」ともいいます。エノコロとは「犬コロ」
のことで、草の様子を子犬の体つきや動きに見立てた呼び名
です。

三月までは毎朝定時に出勤する仕事だったのですが、四月
から転職し、通勤やタイムカードと無縁の生活になりました。
誰からも命令されず、仕事のつきあいなど様々なわずらわし
さから解放され、こういう生活こそ子どものころからずっと
望んでいたものだ、と日々実感しています。

□◆□…優嵐歳時記(518)…□◆□

   蜩や木立の上に細き月  優嵐

今夜もナイターでテニスをしてきました。プレーの合間
にベンチに腰掛けていると、カナカナカナと蜩(ひぐらし)
の鳴き声が聞こえてきました。アブラゼミやミンミンゼミ
の声はひたすら暑いですが、蜩の声はそれだけですーっと
汗がひいていくような涼しい響きを持っています。

早朝や夕暮れ時、特に夕刻に鳴くことが多く、そこから
ヒグラシとの名前がついたようです。どこかで夏祭りでも
あるのか、遠くから花火の音が聞こえてきます。夏休みの
一日もこうして着実に過ぎていくのだなと思いました。

□◆□…優嵐歳時記(517)…□◆□

   八月の風をうなじに本を読む  優嵐

八月は夏休みでもあり、平均気温は一年中で最も高く
真夏のイメージの強い月です。しかし、感覚を研ぎ澄
ましていれば、立秋をすぎると空の色や風、日差しに
微妙な秋の気配を感じ取ることができます。

昼間はよく風の通る部屋にいます。風さえ通れば冷房
なんて不要なのだ、とこの夏は実感しました。コンク
リートのオフィスの中で働いていたころは気づかなか
ったことです。心地よい南風を受けながら好きな本を
読んでいると、「ここにいるだけでリゾート」などと
思います。

□◆□…優嵐歳時記(516)…□◆□

   友迎えみな集いける秋の灯に  優嵐

昨夜は遠くから神戸にきた友人を囲んで語り合いました。
三宮の駅近くにある「魚魚UOUO」という魚料理専門店
です。カウンターにテーブル席が5つというこじんまり
とした店でしたが、ゆっくりとおいしい魚を味わい、
少しお酒も飲みながらいろいろなことを語りましました。

会話の楽しさはもちろん内容もですが、当意即妙のその
場ならではのやりとりにあることに気付きました。
ちょうどパスをまわしていくように、会話がぽんぽんと
席を囲んでいる人たちの中をテンポよくまわっていくと、
実にいい感じになります。

こういうときは時間がたつのも忘れてしまいます。
午後7時に店に入ったのに、気がついたら11時を過ぎて
いました。

□◆□…優嵐歳時記(515)…□◆□

   空少し澄む心地せり今朝の秋   優嵐

今日は立秋。まだ戸外は非常な暑さが続いていますが、
秋ときくだけで、気持ちが新たになります。暑さも今ごろ
が事実上のピークで、秋の始まりであることは確実です。
季節を先んじて感じ、わずかずつの推移を楽しむのが
伝統的な日本人の感じ方なのだと思います。

今日は朝から快晴です。風の吹き具合、日差しの中にも
秋を探している自分を発見します。昨日と特に変わるはず
もないのですが、こうした季節の区切りは大事にしたいと
思います。日差しは数日前からさえ、少し変わっているの
がわかります。今、午後3時前ですが、すでに日差しが
ほんの少しですが、部屋に入っています。

風がよく通る部屋から南には光る川の面が見えます。
同じ川ですが、毎日少しずつ表情が違います。今朝は
二羽の小鷺が来ていました。

□◆□…優嵐歳時記(514)…□◆□

   雲流れ灯点すころや秋隣   優嵐

ミンミンゼミの声が聞こえるようになりました。暦の上
の夏は今日で終わりです。暑さにげんなりされている方
には「秋隣」は秋を心待ちにするという気持ちがこもった
季語と感じられることでしょう。一方、夏休みの終わりが
近づく人たちには、やや残念な思いがにじむかもしれません。

今日の姫路は一日どんよりとしたお天気でした。遠くから
雷の音が聞こえましたが、こちらまではきませんでした。
夕方には青空がのぞき、その空にはすでに秋を感じさせる
筋雲が出ていました。

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